2004年08月11日

『オアシス』

Oasis (2002) / 監督: イ・チャンドン

こういう映画を好きかというと僕自身は迷うところもあるけれど、隅々まで演出の意図を感じられて気迫の伝わってくる力作。

健常者と身体障害者の恋愛を描いているということで、「裏『ジョゼと虎と魚たち』」みたいな作品を期待していて、それは一応当たっていた。『ジョゼ』を観たとき、障害者との恋愛とはいってもどうせ美男美女の綺麗な話だからなあ、と思えて物足りなかった憶えがある。ではそこからいっさいの美化を剥ぎ取り、まったく「美男・美女」でない登場人物たちの織りなす恋愛劇を我々は楽しめるだろうか、とこの映画は問いかける。

物語の途中、主人公は道路で映画を撮影している集団と擦れ違い、近づこうとするものの追い払われる。華やかな映画には決して顔を出さないような人物をこの映画では描くということだろう。

刑務所帰りで皆から爪弾きにされている駄目男が不思議娘に出会って恋をするという筋書きは、ヴィンセント・ギャロの『バッファロー'66』と共通する。『バッファロー'66』の筋書きにラース・フォン・トリアーの露悪趣味を加えて、さらにケン・ローチのような社会の底辺に向ける真摯な眼差しで撮ったとしたら、こんな感じになるのかもしれない。

隅々まで演出の意図を感じられるといえば、例えばオープニングの場面、カメラは延々とひとつの光景を映しつづけて、見ているほうはちょっと退屈に感じる。そのときは何が映っているのかわからないのだけれど、書いてしまうと後の場面でヒロインの部屋にかかった壁掛けなのだとわかる(それが題名「オアシス」の由来となる)。つまり冒頭の場面はおそらくヒロインの視点で、動けなくて窮屈だった(かもしれない)のはヒロインの気持ちでもあったのだろう。

この趣向はラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が、冒頭の数分間、暗闇を映し続けたことを思い出させる。手持ちカメラ風の撮影と、過酷な現実の中に不意に美しい夢想が入り混じるという構成も通じるところがある。

ちなみに、イ・チャンドン監督の前作『ペパーミント・キャンディー』は第53回(2000年)カンヌ国際映画祭に出品されている(「監督週間」部門)。その年のパルムドールを受賞したのは他ならぬ『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だった。

という話はともかく、主人公たちを含めて登場する人物のなかに社会正義を代弁するような人物が誰一人おらず、みんな自分の都合で行動する人物ばかり、という構図がきちんと組み立てられていて素晴らしい(正確には二度登場する「牧師」が社会正義の立場に近いのだけれど、徹底して無力な役回りを振られている)。この手のものにありがちな、主人公たちを聖人扱いすることもしていない。

俳優の演技も迫力があり、特に脳性麻痺のヒロインを演じるムン・ソリは何か後遺症が残るんじゃないかと心配してしまうくらいの熱演。何なんだこの人たちの熱さは、という感じ。

m@stervisionで気合いの入った紹介文を読める。 http://www.ne.jp/asahi/hp/mastervision/archive2004b.html#oasis

2004年08月09日

津原泰水『綺譚集』

02467621500 Can't connect to cgi.bk1.jp:80 (Bad hostname 'cgi.bk1.jp') 集英社 [amazon] [bk1]

津原泰水の短篇集。

前半は流麗なグロテスク描写で死に隣接した世界を描く、といった趣向の作品が並べられ、後半になるともうちょっと色々な内容の作品が入ってくる。

着想や仕掛けよりも語り口を楽しむ作品集。旧仮名使いで通した「赤仮面伝」が印象に残る。

前の連作短篇集『蘆屋家の崩壊』の表題作はエドガー・アラン・ポーの作品をもじった題名だったけれど、今回もポーに言及した作品があって、やはり雰囲気が通じる感じはする。海外の作家でいえば、ポーに敬意を表明して「ニュー・ゴシック」を提唱したパトリック・マグラアが近い位置なのかもしれない。

2004年08月07日

『堕天使のパスポート』

Dirty Pretty Things (2002) / 監督: スティーヴン・フリアーズ

主要人物がアフリカ系、トルコ系、中国系……と、非白人、移民の視点からロンドンの裏側を描いていくサスペンス映画。

アメリカのインデーズ系映画ではわりとよくある手法のような気もする。ジョン・セイルズの『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』を、もっと普通の巻き込まれ型サスペンスにすると近いかもしれない。

アカデミー賞の脚本部門にもノミネートされていたので、それなりにひねった話なのかと期待していたけれど、「移民の視点」というのを除くとサスペンスとしてはすごく陳腐な筋立てで、終盤の「勧善懲悪」みたいなのはなんだこりゃと思った。発端となる「トイレに××を捨てる」というのも特に必然性がなかったように思える。

主演のように宣伝されているオドレイ・トトゥは、実際には表記上二番目の役柄。トルコ系移民の役なので別にこの人でなくても良さそうだけれど(ある程度名の知れた俳優を出さないと客を呼べないのだろう)、髪を下ろした格好の時はあの妙に大きな目に惹かれる。主演のキウェテル・イジョフォー(発音合っているのか不明)は何をしても悪人に見えない感じで良かった(モーガン・フリーマン系?)。こういう地味な男が主人公のサスペンス映画というのもちょっと新鮮な感じはする。 

2004年08月06日

一人の男が飛行機事故で生き残る

町山智浩アメリカ日記(8月6日)によると、米国で封切られたM・ナイト・シャマラン監督の新作"The Village"の評判は微妙な雲行きらしい。

まあ、アメリカの観客がシャマランに何を期待しているのかよくわからないので評判にはさして興味ないのだけれど(ちなみに僕は、いつかまた堂々たるバカミス映画を撮ってくれるに違いない、という期待から観ています)、記事内で『アンブレイカブル』の元ネタとして『墜落大空港』(The Survivor)という題名の映画が挙がっているのが気になった。

調べてみたら、ビデオ題は『ジャンボ・墜落/ザ・サバイバー』、1981年の作品で、飛行機事故でひとり生き残った男の周りで怪異が起こる……という話らしい。『アンブレイカブル』の元ネタは『フィアレス』(1993年)だろうと思っていたのだけれど、もっと前にも似たような話があったのか。

IMDbを見たら、ちょうど『フィアレス』と『アンブレイカブル』の題名を挙げているコメントがあった(脚本は面白いのに監督が駄目、とも言われているようだけれど)。『フィアレス』と『アンブレイカブル』のどちらも傑作だと考えている者としては、ちょっと気になる。

原作は英国のホラー作家ジェイムズ・ハーバートの『ザ・サバイバル』、脚本はデイヴィッド・アンブローズ(最近、『幻のハリウッド』[amazon] [bk1] や『迷宮の暗殺者』[amazon] [bk1] が翻訳されて一部で評判の作家)と、それなりに変な話を期待できそうな顔ぶれだ。

柳下毅一郎・若島正トークショー

ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』 [amazon] [bk1] 出版記念のトークショーを見てきました(8月5日、三省堂神田本店にて)。実はこういう出版関係のイベントに参加するのは初めてのような気がするのだけれど、本が本だけに、突っ込んだ読み解き談義が展開されて面白かったです。まあ、自分がいかに適当に読み流しているかもわかるということで。とりあえず第2話を含めて少し読み返してみようかとは思った。

若島正氏の、マーシュ博士は物事を記憶するのが苦手で(だからテープレコーダーに頼る)、対してV.R.T.はすぐれた記憶力をそなえている。そのことが例えば作中の「星座」の描写に反映されているのではないか、という指摘が面白かった。

『新しい太陽の書』(未読)は『ケルベロス第五の首』の柳下解説によれば、記憶力の良すぎる語り手と記憶障害を患った語り手によるシリーズものらしい(『神聖喜劇』と『メメント』みたいなものか?)。語り手が何をどのように記憶するかということがテキストを形作るというのは、たぶんジーン・ウルフが好んで描く題材なのだろう。

第2話の標題が"A Story"というからには、逆にここにこそ本当の事が書いてあるのではないかと考えてみたい、という話も納得。

あとはプヒプヒ日記のレポートが参考になる。

観客にはウェブでなじみのある人たちも紛れ込んでいるのではないかと予想していたのだけど、よく考えると面識のある人がほとんどいないので会ってもわからないのだった。

柳下氏がジャケットの下にお気に入り(?)のアヤックス・カタルーニャ版レプリカシャツを着ていたことはもちろん見逃さなかった、と一応報告しておきます。