中二階日誌: 2004年12月下旬

2004-12-23

■アントワーヌ・ベロ『パズル』

パズルEloge de la Piece Mainquante (1998) / 香川由利子訳 / 早川書房 [amazon] [bk1]

ジグソーパズルがどれほどミステリの手法に似ているか、それを示したのは間違いなくサミュエル・ライザーである。プレイヤーも探偵も、最後まで全体のモチーフが見えない絵のピースを、少しずつ、すべて集めて着実に前進していく。まじめな探偵は、すべてのピースが見えて、バランスよくかみ合うまで捜査をやめない。(p.239)

これは愉快。ジグソーパズルを異様に熱く語る架空の記事や論文、学会の議事録、組み立ての速さを競う「スピードパズル」選手権の実況、といった馬鹿テキストが次々と繰り出されて、そのバラエティと芸の細かさに呆れながら感心する。笑いどころはたくさんあるのだけれど、個人的にはジャクソン・ポロックの抽象画をもとにした難解なパズルの話が出てくるのと、ジグソーパズルは30年周期で流行する!と断言する人物の論法がありがちなミステリ評論に似ているのがお気に入り。それだけでなく、読み進めるうちにジグソーパズルをめぐる空疎な議論が、一面ではミステリをもっともらしく批評する言説のパロディになっているように感じられてくる。

終盤まで読むと、ミステリの構造をジグソーパズルに擬した全体の構成(パズルのピースが完成すると真相がわかる)が見えてきて、そこで事件の解決も示される。その構成の試みや種明かしそのものはさほど大したことがないけれど(事件の真相は日本の某有名作品に通じるので、設定を見た瞬間に見当が付いてしまう読者もいるかもしれない)、それよりも個々のピースとしていかに馬鹿馬鹿しい架空の文書を捏造できるかという点に眼目がある。作中テキストの徹底した無意味さと爆笑度は、フラン・オブライエンの『第三の警官』なみではないかとさえ思う。

今年出た本ではホセ・カルロス・ソモサ『イデアの洞窟』も近い路線だけれど、こちらのほうが面白かった。知性と教養を果てしなく無意味なことに注ぎ込んだ、馬鹿ポストモダン・ミステリの精華として讃えたい。

2004-12-25

□週刊文春ミステリーベスト10

週刊文春ミステリーベスト10の全回答が公開

某先生は文春に嫌がらせをしているんですか?とかそういうのは、杉江松恋氏が調べてくれているのでお疲れ様です。このくらいの投票規模なら、何人かが集まって選挙活動をすれば効果が出てしまいそうだ。

集計結果のランキングは正直どうでもいいと思うけれど、個別の回答を見ていくときちんとコメントを書いている人もいるのでそれなりに面白い。法月綸太郎がチャールズ・ウィルフォード『炎に消えた名画』(美術評論家の暴走を描いた犯罪小説)を2位に挙げて「モダン・アートのいかがわしさを、余すところなく描き尽くした快作」とコメントしているのはいかにも納得。

◆『バッドサンタ』

Bad Santa (2003) / 監督: テリー・ツワイゴフ

社会の良識から逸脱した駄目男がいじめられっ子の少年と出会い、成り行きで疑似親子めいた関係になって心を通わせていく。つまり『アバウト・ア・ボーイ』と同じ話といえる。『アバウト・ア・ボーイ』でヒュー・グラントの演じた主人公は親の遺産であるクリスマスソングの印税で遊び暮らしている人物で、『バッドサンタ』のビリー・ボブ・ソーントンはクリスマスのサンタクロースに扮する仕事の裏で盗みの計画を練っている。どちらの主人公もクリスマスの恩恵で収入を得ているものの、クリスマスに象徴される社会や家庭生活、誰かを大切に思ってプレゼントを交換するような関わりからは「降りて」生きていた人物なのが共通する。

ちょっとひねくれたクリスマスものとしては愉しめるけれど、文化背景の違いのせいか、サンタクロースの扮装でふしだらな振る舞いをするとか口汚く罵り合いをするとか、そのあたりを大げさに描くことの面白味がいまひとつ実感できない。たぶんユダヤ系の人がキリスト教社会を皮肉るという趣向でもあるのだろうけど。そこを除くと『アバウト・ア・ボーイ』ほど定型を外した面白さがないので、二番煎じのように見えてしまった。

2004-12-26

■平山瑞穂『ラス・マンチャス通信』

ラス・マンチャス通信新潮社 [amazon] [bk1]

これは厄介な小説だな……。主観的な一人称叙述で語られる小説で、それぞれの場面で何が起きたかは描写されるけれど、その背景事情や全体像が見えてこない。しかも章が変わるといきなり時間と場所が飛んでいたりもして、読み進むとかえって謎が増えていく。今年読んだ小説では『ケルベロス第五の首』の印象に近い。

そんなわけで物語の把握が不明瞭なのだけれど、特に前半部、主人公の語りに得体の知れない不穏さがあってなかなか惹きつけられた(個人的にはジム・トンプスンやチャック・パラニュークあたりの感じを思い出した)。ただ、この話は主人公が物語の終わった時点から回想して語る構造なのだけれど、情報の提示がほとんど事後的な説明か他人の話の要約になっていて、そこはこなれていないように思える。

2004-12-27

◆『ベルヴィル・ランデブー』

Les Triplettes de Belleville (2002) / 監督: シルヴァン・ショメ

出てくるのは老婆や変な孫や犬、お話は単なる追いかけっこみたいな単純なもの、台詞は極度に削ぎ落とされていてサイレント映画に近い。アニメに「萌え」や長たらしい解説など不要、ただ荒唐無稽な絵が動けばそれでいい、ということを思い出させてくれるストイックな作品。でも実は前半、あまりにも台詞がないのでついまどろんでしまったことを告白しておく。

敵方のギャングのボスはベレー帽をかぶった鼻のでかい小柄な男で、つまりもろ「手塚治虫」に見える。『Invitation』2005年1月号で監督のシルヴァン・ショメと対談している大友克洋氏にはぜひそこに突っ込んでもらいたかった。

2004-12-28

■森見登美彦『四畳半神話大系』

四畳半神話大系太田出版 [amazon] [bk1]

サブタイトルは「京都大学物語2 〜ビューティフル・ドリーマー」という感じでどうか。

主人公の選択によってシナリオが分岐していく、いわゆるサウンドノベルのゲームをもういちど小説の形式に戻したらこうなるという趣向の作品。普通は分岐すると別々のエンディングを迎える展開になるけれど、この作品は結末も同じにする縛りを入れている(新幹線に乗っても飛行機に乗っても結局大阪に着くのは同じ、という『ドラえもん』理論の応用)。出発点と終着点が共通で登場人物もほとんど同じなのに、きちんと各話で変化をつけて、徐々に全体のつながりが見えてくるような仕掛けになっていて感心する。

こう書くといかにもオタク趣味の小説のようだけれど、前作『太陽の塔』と同じく主人公の貧乏生活の描写はあくまでも古典的で(現代風の小道具も出てこない)、文章にわざと昔風の言葉遣いを混ぜているのが浮いていない。このあたりの、古風な表現が無理なく出てくる感じが独特で面白い。自意識過剰ぶりが空回りする青春小説といえば『ファウスト』界隈の作家が多く書いていて、いくらか辟易するところもあるけれど、これだけ達者に書かれていると抵抗なく読める。『太陽の塔』よりも作者の器用さが目立って、良くなったんじゃないだろうか。

佐藤哲也氏が絶賛紹介文を書いていて面白い。特に、

わたしはデビュー作以来、ワープロのコピー・ペースト機能を悪用しているということでしばしば非難を受けてきたが、遂に上手が現われたことで実を言えば喜びを隠せない。

というくだりには笑ってしまった。サンプリング小説というやつだろうか。そういえばこの小説には学生が主人公なのにまるで勉学の話が出てこないけれど、大学で習得するのはむしろ巧妙なコピー&ペーストの方法なのだと考えると、実は正しい学生小説といえるのかもしれない。

2004-12-29

□今年のバカミスを振り返る

杉江松恋氏の日記(12月29日)によると、「今年もっともバカミスだった」と認定された作品はデイヴィッド・アンブローズの『迷宮の暗殺者』[amazon] [bk1]だそうだ。

僕が今年読んだ/観た作品で推薦するなら、

  • 小説部門: アントワーヌ・ベロ『パズル』[amazon] [bk1](11月刊行なので来年度扱いかも)
  • 映画部門: 『オールド・ボーイ』

という感じになる。『迷宮の暗殺者』の破壊力もたしかに捨てがたいのだけれど、驚愕の展開が披露される数ページ以外は凡庸なハリウッド活劇が続くのでちょっと物足りない。

『パズル』はあの手この手で繰り出されるジグソーパズルをめぐる架空文書のバラエティが素晴らしく、久しぶりに素で笑いをこらえるのに苦労する読書体験をした。おそらくポストモダン・バカミスという新たな分野を切り開いた記念碑的傑作として記憶されるに違いない(バカミス史に)。フランス人も侮れない。

『オールド・ボーイ』は「15年かけてそれですか……」と椅子からずり落ちそうになる、壮大な計画と卑小な目的の落差が圧倒的。もはや絵空事なのかひょっとしてあの国なら「あり」なのかよくわからず、とりあえず「韓流」の勢いおそるべしということで。

2004-12-31

◇今年観た映画を振り返る

劇場で観られた新作でベスト3を挙げると次の通り。(公開日順)

  • 『オアシス』
  • 『スクール・オブ・ロック』
  • 『ビッグ・フィッシュ』

どんな作品でもそうだというわけではないけれど、面白い映画を見たときは、「映画とは何だろうか?」という問いに対する作者なりの回答として作品を見ていることが多い。

『オアシス』はまさにそうで、題名が示している部屋の壁掛けは、そのまま映画のスクリーンのようでもある。単なる壁掛けが特別な「オアシス」になるまでを描くのが映画だということだろう。

『ビッグ・フィッシュ』も、父親と息子の和解の話というよりは「映画についての映画」という文脈でおもに見ていた。ちなみに、アルバート・フィニーとジェシカ・ラングがバスタブで抱擁し合う幻想的な場面は、原作にも当初の脚本にもなく、ティム・バートン監督が後から追加した場面らしい(『CUT』誌インタビューでの発言より)。あれがあるのとないとのではだいぶ印象が違っていたと思うので、バートンやるなあと感心した。

『スクール・オブ・ロック』は他の2作とは意味が違うけれど、封切り直後の劇場の盛り上がりに居合わせて、映画のお祭り的な楽しさを改めて教えてもらった。あと、ジャック・ブラックが小学校で教師を演じるという基本構想が、2時間持つか持たないかぎりぎりに思えるもので、その行方を見届けること自体が「映画」であるような気もする。

次点は『シービスケット』。フランク・キャプラ的な古き良きアメリカ映画の感じが好きなのと、映像がたいへん端正で隙がなかったので。

新作で見逃してしまって残念なのは『みんなのうた』『マインド・ゲーム』『アメリカン・スプレンダー』あたり。そのうち補完したい。

□今年読んだ本を振り返る

新刊本で印象に残っているものを挙げてみる。

  • 『ミドルセックス』ジェフリー・ユージェニデス(早川書房)
  • 『奇術師』クリストファー・プリースト(ハヤカワ文庫FT)
  • 『炎に消えた名画』チャールズ・ウィルフォード(扶桑社ミステリー)
  • 『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ(新潮社)
  • 『灰色の魂』フィリップ・クローデル(みすず書房)
  • 『パズル』アントワーヌ・ベロ(早川書房)
  • 『チルドレン』伊坂幸太郎(講談社)

このなかでは『ミドルセックス』が飛び抜けていて、後は横並び。こう見ると日本の小説をろくに読めていない。

『ミドルセックス』は、語り手が叙述の約束を破りまくるにもかかわらず、物語的にも感動できるという両立を達成した傑作。長篇小説(=人生)を読んだという気分にさせてくれる。最近はやりの移民歴史ものなので、ジュンパ・ラヒリの『その名にちなんで』(未読)があれだけ評判になったのを見ると、仮に新潮クレストブックスから出ていればもうちょっと注目されたのだろうか、などと考える。

他はミステリと文学の境界線上みたいな作品で面白いものが多かった。『ペンギンの憂鬱』は訳出された後、たまたまウクライナ情勢が世界中の話題になってしまって奇遇。『パズル』は今年もっとも笑えた冗談本なので外せない。

伊坂幸太郎は何作か出たけれど、東京創元社系の連作日常ミステリに近い枠組みで、伊坂氏ならではの新機軸を見せてくれた『チルドレン』が好み。

あと、ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』は、自分で読んで愉しめたかどうかは別として、いろいろと話題になり、他の人の深読みを聞いたりするのが面白かった本ということで印象深い。個人的には『SFマガジン』に掲載された「アメリカの七夜」のほうが、舞台設定とゴシック小説的な手法が結びついていて洗練されているように感じたのだけれど。


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