中二階日誌: 2004年11月下旬

2004-11-22

◆『ハウルの動く城』

Howl's Moving Castle (2004) / 監督・脚本: 宮崎駿

前評判のわりには愉しめた。『千と千尋の神隠し』に引き続いてストーリーはほぼ皆無で、ただ巨匠・宮崎駿のイメージ羅列を味わいましょうという感じが強くなっているなあ。

階段登りの場面が最高で、これは映画における「階段名場面史」に語り伝えられるのではないだろうか(適当です)。なぜそこで階段?という唐突さも訳が分からなくて素晴らしい。

若い心に老いた肉体という、多分に宮崎監督自身を投影させているだろう主人公の設定を除くと、物語の枠組みは前作の『千と千尋の神隠し』と似通っている。魔女の呪いによって不思議の世界に巻き込まれた地味なヒロインが、こちらも悪い魔女に使役させられる美青年の魔法使いと出会い、幼少期に遡ったりしながら唐突なハッピーエンドを迎える(こう書いてみると、発端の「魔女の呪い」が後半はどこかへ消えてしまっている、ねじれた話だな……)。『千尋』のときは「え、そんなことで良いの」と拍子抜けしたけれど、今回は慣れたせいか驚かずに済んだ。

ただ、これまでに見たことのない、でも不思議と懐かしい独自の世界を見せてくれた『千尋』に比べると、今回の舞台はどこかで見たような中世風ファンタジーの世界に戻っているので、そこが物足りないのは否めない(まあ、毎回新たな世界構築を期待されるのも酷ではあるけれど)。宮崎作品にしては、飛行場面が背景をずらしているだけに見えて爽快感に乏しいのも気になった。それでも、ちびっ子魔法使いマルクル、炎の悪魔カルシファーといった、誰もが好きにならずにいられないような脇役キャラの立たせ方はさすがだと思う。

あと、疑問の声が多い「戦争」の扱いについて。宮崎監督は『千と千尋の神隠し』のレトロな街並みの世界について、東京の空襲で失われてしまった自分の原風景を描いた、というようなことを語っていた(ちなみに宮崎駿は1941年、東京生まれ)。そうすると、今回はその「空襲」そのものを描きたいという意図があったのではないだろうか。ダフネ・デュ・モーリアの「鳥」で人間社会を襲撃する鳥の群れには何の理由もなかったように、空襲を描くのに背景の説明や理由付けは必要がない。とはいえ、物語上はそもそも「戦争」を絡ませる必然性があったとは特に感じられないのもたしかだけれど。

2004-11-24

◆『カリートの道』

Carlito's Way (1993) / 監督: ブライアン・デ・パルマ

もと暗黒街の大物アル・パチーノが闇商売から足を洗おうとするものの、色々と邪魔が入って抜けられない……という、古風なギャングの話を丁寧に撮っていて、なかなか良かった。昔のフランスの「暗黒街」ものにありそうな感じの話だと思う。

冒頭の場面で瀕死状態に陥っている主人公の姿を映して、そこに至るまでの経緯を見せていくという『サンセット大通り』風の構成で語られる。なので筋書きが意外な展開をするわけではないのだけれど、場面ごとに、不穏なことが起こるとわかっていながら、いつそれが起こるかという感じの緊張感があって惹きつけられる。ただ、いくつか主人公がナレーションで心情を語る箇所は説明的で不要のように感じた。

愛の抱擁の場面でふたりの周りをカメラがぐるぐる廻るとか、クライマックスではわざわざエスカレーターで銃撃戦が展開されるという「階段フェチ」ぶりが発揮されるとか、デ・パルマ監督らしい感じも出ていて良いんじゃないだろうか。

ショーン・ペンはハゲ眼鏡で疑り深い疫病神の弁護士という、普段とはまるで違う人物を演じていて、しかもきちんと説得力がある。まさにカメレオン俳優なのだけど、それがすごい演技として変に目立つのではなく、脇役に徹しているのにも感心する。

◇『ハウル』と姿を変える登場人物

風野春樹さんのハウル雑感を読む。『ハウルの動く城』で、主要な登場人物がどれもその場その場で姿形を変える、目に映る姿はそれぞれの内面を反映している、というのは一見して気付くことだけれど、自分ではうまく文章にまとまらなかったので参考になる(深川拓さんの『ハウル』感想も似た感じで書かれていますね)。たしか『千と千尋の神隠し』もそんな感じだったと記憶しているのだけれど、『千尋』では主人公の千尋だけはほとんど見た目が変わらないので(名前を奪われてもずっと自分を見失わない、ということだと思う)、見るたびに姿を変える『ハウル』のソフィーはそれと対照的だった。

しかし、あれだけ目まぐるしく姿が変わってもとりあえず一貫した同じ人物として認識できてしまうのは、アニメならではの表現ともいえるだろうけど、よく考えると不思議なものだ。プロの声優ではなく、実写の俳優としてある程度イメージの確立された人を起用したのが良かったのかもしれない。描かれた画面のキャラクターにそのまま声を当てていくのではなく、観客が声から思い浮かべる人物像がある程度背後にあって、その心理を反映して画面にかりそめの姿形が現れる、という感じになったのではないだろうか。個人的には、前半のうちは登場するキャラクターの造型がそれぞれを演じる声優のイメージに寄りかかっているようで安易に思えたのだけれど(特に美輪明宏の「荒地の魔女」とか)、話が進んで人物の見た目が曖昧になっていくにつれて、それが自然なことに思えて気にならなくなってきた。

◇『ハウル』と『オズの魔法使い』

『ハウルの動く城』に別の原作があることは知っているけれど、突然「かかし」が出てきた時点で、これは『オズの魔法使い』の組み替えなんだろうと考えたのは僕だけではないと思う。ヒロインが「水をかける」ことで戦いを達成するというのも同じだったはず。

『オズの魔法使い』といえば「竜巻」なので、そう考えると『ハウル』に描かれる戦争や空襲は要するに竜巻の代わりであり、だから背景事情や理由付けは出てこないのだろう。

2004-11-26

■フィリップ・クローデル『灰色の魂』

灰色の魂高橋啓訳 / みすず書房 [amazon] [bk1]

川で発見された少女の死体、そこから田舎町の住人たちの人間模様が浮かび上がる……という冒頭から、これはフランス版『ツイン・ピークス』に違いないと予想していたら、事件の行方よりもむしろ、淡々としながら作品世界をかき回す怪しい語り手のほうが目立ってくる。この語り手が前面に出てくる終盤のねじれた展開は圧巻で、パトリック・マグラア的な歪んだ語り手を描いた小説としてたいへん不気味で面白かった。「城」という舞台設定や何重にも書き写される「手紙」といった、ゴシック小説的な道具立ても揃っている。

パトリック・マグラアの小説を読んで、いや今回もおかしな語り手に付き合わされたなあ、と満足できる人にはお薦め。

2004-11-27

◇フィリップ・ド・ブロカ死去

『まぼろしの市街戦』で知られるフランスの映画監督、フィリップ・ド・ブロカが亡くなったそうです。

『まぼろしの市街戦』以外も軽やかな佳作ばかりでとても好きな監督なので、どこかで追悼特集でもやってくれないかなと思います。個人的には、ジャン=ポール・ベルモンド主演のコメディ『おかしなおかしな大冒険』(1973年)と、横浜のフランス映画祭で上映されたという『愛と復讐の騎士』(1997年)を観てみたい。

検索したら、ジョルジュ・ドルリューの音楽とともにド・ブロカ作品をまとめて語った記事を見つけた。この文章でも少し書かれているように、ド・ブロカの映画はありえないことが次々と起こる夢のような軽やかさが最大の魅力で、それは例えば『シェーラザード/新・千夜一夜物語』(1990年)でキャサリン・ゼタ=ジョーンズの演じるヒロインが口にする、「人生はジョークよ」という台詞に象徴されるのではないかと思う。

2004-11-29

◆『エイプリルの七面鳥』

Pieces of April (2003) / 監督・脚本: ピーター・ヘッジス

低予算インディーズ映画はこうやって作るんだ、というお手本のような作品、身近な題材をすくい上げた巧い着眼点と、隅々まで意図の伝わる丁寧な日常描写、必要以上の説明をしないで登場人物たちの状況を徐々に明かしていく脚本。特に、母親の健康状態と、親子関係が断絶している事情という、この話の中では日常的でなく浮きやすいと思われる要素を、どちらも正面からではなく遠回しに語ってわからせているのに感心した。

正直なところ、達者に作ってあるなあという以上の感想は抱けなかったのだけれど、佳作なのは間違いない。母親役のパトリシア・クラークソンはどの場面でも嘘臭さを感じさせなくてすごい。対するケイティ・ホームズはやや作っている感じもしてしまったのだけど、なまじ知名度があるための印象かもしれない。妹役の女優が、たいていの映画ならあまり画面に出てこないような(美人でない)容貌で、それが平然と撮られていたのも新鮮だった。


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