中二階日誌: 2004年9月中旬

2004-09-11

◆[movie]『デブラ・ウィンガーを探して』

Searching for Debra Winger (2002) / 監督: ロザンナ・アークェット

ハリウッド女優たちの愚痴大会、という気もするけれど、女優がたくさん出てきて率直に話してくれるので、TVで気楽に観ている分にはわりと楽しめる。劇場まで見に行ってこの程度の内容だったら拍子抜けかもしれない。

題名は『ボビー・フィッシャーを探して』(Searching for Bobby Fischer)を念頭に置いているのだろうか(それとも他に元ネタがあるのか)。キャリアの絶頂で自ら表舞台から姿を消した有名人、という意味では似ている。

デブラ・ウィンガーを探して話を聞くのが眼目なのかと思ったら、出てきたデブラ・ウィンガーはロザンナ・アークェットに、あなたも妹(パトリシア)と比べられて大変でしょうけど頑張って、みたいに励ましの言葉をかけたりする。実はロザンナ・アークェットの「自分探し」の映画だったのか。

2004-09-12

◆[movie]『ヴィレッジ』

The Village (2004) / 監督・脚本: M・ナイト・シャマラン

前作の『サイン』もいくらかそういうところがあったけれど、与太話を世紀の名作ばりに演出するというシャマランの作風も自己パロディの領域に入ってきたなと思う。

村の大人たちがひたすら思わせぶりな隠し事を続けて閉ざされたコミュニティを維持しようとする様子は、そのままシャマランの映画製作のやりかたを示しているようだし(もう隠すこと自体が目的になっているというか)、果ては監督自身が画面に登場して、秘密が多いとかえって詮索する奴が出てきて困るんだよ、みたいなことを口にする。

まあ、画面は綺麗だし場面ごとの演出で巧いと感じるところはあるけれど、『アンブレイカブル』を初めて観たときの新鮮な驚きはもう味わえないのかもしれない。

2004-09-13

◇アトム・エゴヤン映画祭2004

アトム・エゴヤン監督作品の特集上映が来月、渋谷のシアター・イメージフォーラムで開催されるらしい。(10月23日〜31日)

初期作の『ファミリー・ビューイング』(1987年)は未見なので、少なくともこれは観ておきたい。

◆[movie]『Code 46』

Code 46 (2003) / 監督: マイケル・ウィンターボトム

たいへんつまらなかった。今年劇場で観た映画のうちのワースト候補に入る。

実際の上海の街並みを多分そのまま撮影して、近未来社会を表現してみせるという趣向。タルコフスキーの『ソラリス』に首都高の風景が使われていたのと似ている。そこにはどうしても、欧米人の視点から東洋の都市を見た物珍しさを加味するので何とか通用するという感じがあって、乗りにくい。

その程度の観光気分で近未来社会を描かれても説得力がなく、題名の「Code 46」(同じ遺伝子を持つ者同士が性交してはいけないという決まり)や、「パペル」という身分証による人口管理などのSF的な設定が、単に物語上の障害を作り出すための後付けのものにしか見えない。(そもそも、社会的に重要なはずのパペルの作成現場は何であんなに手作業っぽいのか)

サマンサ・モートンの出自不明の風貌をSF映画の登場人物として使うのは、スピルバーグ監督の『マイノリティ・リポート』(2002年)がすでにやったばかりなので目新しさに欠ける。

後半になると突然アラブの土地が出てきて、この映画の設定は現在の世界情勢、特に英米とアラブ諸国の意識の格差を視野に入れているらしいことが窺える。同じ遺伝子を持っていてもたまたま「壁」の向こう側とこちら側に隔てられることがある。ただし映画の前提が欧米人の視点によるものなので、薄っぺらく見えてしまう。

2004-09-18

■[book]佐藤哲也『熱帯』

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これまでの佐藤哲也作品でいえば、脈絡のない脱線とギャグが紡ぎ出される『沢蟹まけると意志の力』の感じに近い。考えてみると『イラハイ』ではファンタジー、『妻の帝国』ではSF(仮想歴史)というジャンルの枠組みが一応あって書かれていたはずなので、好き勝手に書くと『沢蟹』やこの『熱帯』のような小説になる、ということだろうか。

とりあえず『モンティ・パイソン』のように突発的なギャグを愉しめばいいと思うので、その意味では「プラトン・ファイト」もいいけど「弁証戦隊ヘーゲリアン」が強烈でつい吹き出してしまった。

この手の不条理コメディは根源にあるものがてきるだけ無意味で空虚なものであるといいと考えていて、例えばジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』(本当に存在するかどうかもわからない軍規「キャッチ=22」が物語世界を支配する)などはその最高峰だろう。この作品に描かれる謎の政府機関「不明省」も、理由不明の出来事を「不明事象」として処理するという存在目的の無意味さからいって、かなりポイントが高い。(役に立たない省庁という意味で、モンティ・パイソンの「バカ歩き省」を思い出す)

『妻の帝国』でオーウェルの『一九八四年』みたいなディストピア管理社会ものに接近したように、佐藤哲也の描く「論理的な不条理」には、でも実際にこんな感じのこともあるだろうなと感じてしまう現実的な側面もある。その筆致を今回は、作者自身の経験を踏まえているのだろうシステム開発業務の描写に適用しているのが面白い。

それにしても、題名の通り真夏の話で、ギリシャ関連のネタも多いから、もうひと月早く本が出ていればアテネオリンピックの時期と重なってちょうど良かっただろうに。(奥付の記載では2004年8月30日発行)

2004-09-19

◆[movie]『WALKABOUT 美しき冒険旅行』

Walkabout (1971) / 監督: ニコラス・ローグ

文明社会から放り出された姉と弟がオーストラリアの奥地を彷徨い、アボリジニの青年と出会う。

とりあえず女の子のスカートが短すぎ、というのが正直な第一印象なのだけど(誰の趣味なんだ)、英国の人はなぜかこういう、文明社会の外にある秘境を夢見る話が伝統的に好きな印象がある。この頃は、オーストラリアの奥地ならそんな秘境が見つかるかもしれない、とある程度信じられた時代だったのだろうか。

もっと文明か非文明のどちらかに肩入れしたり、あるいは少女を安易に理想化した話かもしれないと予想していたのだけれど、どちらも過度に賛美しないような描写になっていて緊張感があった。女の子の行動にも西洋中心主義的な傲慢さが見え隠れするような描き方になっている(彼女は最後までアボリジニの言葉を覚えようとせず、英語で喋ろうとする)。異なる文化背景を有する者がたまたま出会い、幸福な結末を迎えられなかったという感じ。自動車と銃から逃れてきたのに、また自動車と銃の世界に戻っていくという説話構造や、白人の少女とアボリジニの青年のあいだに性的な緊張感が生まれそうなところで、弟の少年の存在がそれを緩和する、という人物配置も良い。

ただ、アボリジニの狩り→肉屋の解体、木の股→女の股、といった意味のわかりやすすぎるモンタージュ技法はいかにも不器用に見える。

主演のジェニー・アガターが全裸で泳いだりする場面がふんだんにあり、別の意味で「幻の映画」「カルト名作」として持ち上げられていたんじゃないかという気もするけれど、異文化交流ものの作例として面白い映画だった。

◆[movie]『愛の落日』

The Quiet American (2002) / 監督: フィリップ・ノイス

邦題では完全にメロドラマ扱いなのだけど、英国人記者(マイケル・ケイン)、米国人活動家(ブレンダン・フレイザー)、ヴェトナム人女性(ドー・ハイ・イエン)による三角関係のメロドラマが当時(1950年代)のヴェトナムをめぐる政治状況に重なっていくという話。

原作が同じグレアム・グリーン(『おとなしいアメリカ人』)のせいか、異郷で国際的陰謀の一部を垣間見るという筋書きが『第三の男』に似ている。なんでこんな古い話をいまさら映画化したのかというと、ヴェトナムに対するアメリカの政治的介入を批判的に描いているので、現代のイラク情勢への批判と重なるからということなのだろう。

その「メロドラマと政治状況が重なっていく」展開は面白いのだけれど(多分原作が良いのだろう)、メロドラマ単体として見ると、やたら「結婚の約束」にこだわる(カトリック的な?)話で、登場人物それぞれも「政治的な象徴」の範囲を超える印象がなくてさほど魅力がない。少なくとも、ブレンダン・フレイザーとヒロインのドー・ハイ・イエンには、何か特別な人物として印象付ける映画的な場面がもっと用意されていても良かったんじゃないかという気がする。ヒロインを取り合うというより、ヴェトナムを取り合う話という裏の意味がどうしても強く見えてしまう。

マイケル・ケインはかつて『探偵スルース』(1972年)で老作家に若さを嫉妬される役柄を演じていたけれど、この作品では逆の立場になっている。

◆[movie]『特攻大作戦』

The Dirty Dozen (1967) / 監督: ロバート・アルドリッチ

ロバート・アルドリッチ監督の作品はそんなに観ていないのだけど、これは「男くさい」「反骨」というイメージそのままの映画で面白かった。ドン・シーゲルやサム・ペキンパーの映画もそうなのだけど(出演者も重なっている)、暴力が必ずしも爽快感をもたらさず、暗い後味を残して終わる。

筋書きの前提がそもそも、軍事裁判で死刑を宣告されたならず者たちを訓練して決死部隊を作り上げるという狂ったもので(もともと死刑囚だから無茶な作戦で全滅してもかまわないという扱い)、作戦は別荘に集まったドイツ将校たちに奇襲をかけるという卑劣っぽいもの、そして最終的にはドイツ人たちを地下の防空壕に閉じ込めて全員丸焼きにすることになる(しかも、直接火をつける汚れ役は唯一の黒人兵がやらされる)。ああ、なんて後味が悪いんだ……。戦争なんてどちらの陣営も突き詰めればこんなものだということなんだろう。

十二人の部隊のなかで二、三人しか印象に残らないので、登場人物たちの事前の描き分けがあまり出来ていないような気もするけれど、まったく救いのない戦争ものとして実に酷薄な後味を残す。


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