2009 Lost Memories (2002) / 監督: イ・シミュン
1909年、安重根が伊藤博文の暗殺に失敗、その後日本は第二次世界大戦で米国と同盟し、ソウルはいまだ朝鮮総督府の支配下にあった……という、『高い城の男』韓国版のような歴史改変もの。
韓国映画のなかでも、ハリウッドのアクション映画に追随した路線の作品。設定の物珍しさを除くと、別離のメロドラマがくどかったりアクションが単調だったりと、そんなに面白くない。この程度の筋書きで2時間を超えてしまうのは長すぎで、いいから早く「時間の扉」に行って話を進めてくれと思わずにはいられなかった。
僕の場合はすごい怪作に違いないと期待して借りてきたわけだけれど、TSUTAYAでは普通の娯楽映画として宣伝されているようで、大丈夫なんだろうか。
The Dead Zone (1983) / 監督: デヴィッド・クローネンバーグ
『キャリー』以来、スティーヴン・キングが得意としてきた「疎外された能力者」の物語。クローネンバーグ自身は、キングの原作は一度しか読んでいないと発言しているそうだけれど、結構きちんと原作のエッセンスを拾っている気がした。(といっても読んだのは昔なので、実はあまりきちんと憶えていない)
『アンブレイカブル』などに受け継がれる、「超人でないヒーロー」ものを淡々と描いたお手本のような作品で、特に驚くところなないけれども良くできている。カナダの映画監督らしい寒々とした風景描写と、クリストファー・ウォーケンの蒼白な顔が印象的。
Scanners (1981) / 監督: デヴィッド・クローネンバーグ
これも世間から疎外されてきた超能力者の話で、このあと『デッドゾーン』を映画化することになるのは納得できる。
超能力者同士が対決するというパルプマガジンのような話を、荒唐無稽になりすぎない丁寧な描写で撮っていて面白かった。相手の血流を操作して肉体を破壊する、という『ジョジョの奇妙な冒険』みたいな理屈が出てきて、たぶんクローネンバーグは山田風太郎系というか、超能力にも物理的な説明を付けたがるタイプの作家なのだろう。
語り口が多少ぎこちないのも、次に何が起こるのか読めないという意味でかえって興味を高めている。(有名な頭部爆発のシーンもかなり唐突に出てくる)
Videodrome (1983) / 監督: デヴィッド・クローネンバーグ
ビデオの映像に埋もれて現実と妄想の境目がわからなくなっていく。当時は最先端だったのだろうけど、メディアの枠組みに頼っているところがいま見るとちょっと古く感じる。
『デッドゾーン』とは公開が同年なのだけど、この作品で思いきりぐちゃぐちゃやったので、満足して『デッドゾーン』はグロテスク描写が影を潜めて一般に受ける映画になったということか。
というわけで、1980年代前半の『スキャナーズ』、『ビデオドローム』、『デッドゾーン』とまとめて観た。三作ともそれなりに面白かったけれど、あえて選ぶなら超能力バトルという題材が燃える『スキャナーズ』が一番好み。
『ビデオドローム』も面白いけれど、妄想を映像化して良いことになると、何でもありになって緊張感が薄れてくるような気がする。
ちなみに、『ジョジョの奇妙な冒険』の人間解体系の能力(人間を書物にしたりジッパーを開けたり)は『ビデオドローム』の発想と通じるところがある。
Peppermint Candy (1999) / 監督: イ・チャンドン
『オアシス』のイ・チャンドン監督の前作。
韓国現代史を背景に『市民ケーン』の「ある男の人生を遡る」構成をやってしまおうという試み。激動の近過去をくぐり抜けてきた国ならではの趣向というか。韓国情勢に明るいわけではないので、それぞれの時期の社会背景は正直把握しきれないところもあるけれど、個々の場面は緊迫感があって惹きつけられる。
題名の「ペパーミント・キャンディー」は、『市民ケーン』の「薔薇のつぼみ」と同じく「失われたイノセンス」を象徴するものだ。そのペパーミント・キャンディー自体は劇中の台詞で、ヒロインが働いている工場で毎日何千個も包んでいる、要するにどこにでもある品物だと説明される。『オアシス』の題名が指している部屋の壁掛けも、やはりどこにでもあるようなありふれたものだった。そういうどこにでもあるものがそれぞれの個人にとっては特別なものになりうるのだし、それを描いてみせるのが映画だということだろう。
主人公が脚を悪くしていることが前半で描写されて、これは主人公がかつて取り戻せない心の傷を負ったことを暗示しているのだろうと考えていると、やはり過去に遡っていく過程でその理由が示される。この監督の映画はそういった細部の意味づけがしっかりしていて、信頼して見ることできる。
『殺人の追憶』では1980年代の韓国警察が「拷問は当たり前」といった感じの前近代的でずさんな捜査をしていたことが描かれていたけれど、この映画でも当時の警察はいきなり容疑者を縄で縛りあげて転がしていたりと、さんざんな描かれかたになっていた。そんなに凄かったのだろうか。
Obsession (1976) / 監督: ブライアン・デ・パルマ
なるほどこういう話だったのか……。かつて喪った女性にそっくりな相手とまためぐり合う、『めまい』の再話なのだけれど、そのままやっても面白くないのですごいひねりを入れていて、大変なことになっている。ラストの場面なんて全然納得できないんだけれど、カメラ大回転なのでデ・パルマ的には満足なんだろうか。
そこまでして『めまい』をやりたいという執着こそが最大の「オブセッション」に違いない、などと考える。
Alien (1979) / 監督: リドリー・スコット
いまさら観る名作。『2001年宇宙の旅』みたいに宇宙船内の光景を静かにとらえていく冒頭から素晴らしいけれど、誰が主人公で生き残ることになるのか知っているので純粋には愉しめなかった気がする。それにしても後の作品に与えた影響を数え上げるときりがなさそうだ。(例えば『新世紀エヴァンゲリオン』なんてこの『エイリアン』の影響がかなり濃いんじゃないだろうか)
英国人俳優のジョン・ハートとイアン・ホルムという、何となく怪しい顔ぶれが入っているのに注目していたのだけど、劇中で「肉体を破壊される」ところを直接描写されるのがこのふたりだった(他の乗組員は死の瞬間を画面に映されない)。さらに、両者ともエイリアンを船内に招き込む元凶にもなっている。リドリー・スコット監督は英国人なので、英国の俳優に嫌な役を振りやすかったのだろうか。
Small Soldiers (1998) / 監督: ジョー・ダンテ
おもちゃの兵隊が戦争をはじめる。ティム・バートンの『マーズ・アタック!』(1996年)の姉妹編みたいな話。バートンの映画と同じく、マッチョは批判され、冴えない主人公が勝利を収め、モンスターへの親近感が示される。
おもちゃの兵隊たちにロバート・アルドリッチ監督の『特攻大作戦』の出演者が声を当てている。兵隊の首領である「少佐」のモデルはリー・マーヴィンなんだろう。他にも『パットン大戦車軍団』や『地獄の黙示録』など、戦争映画のパロディが盛り込まれていて楽しい。
兵隊たちのCG映像が凝っている他にも、アメリカのスモールタウンの風景がとても端正に撮られていて良かった。
Enter the Dragon (1973) / 監督: ロバート・クローズ / 出演: ブルース・リー
いまさら観る名作、第二弾。
「武道大会に招かれる」「秘密基地に潜入する」という小学生的な願望が実現される。特に前者は『少年ジャンプ』系の格闘漫画の源流として、その影響力は計り知れない。それにしてもこういう、独裁組織を作りあげて美女を侍らせる『007』的な悪役を見ると、近頃はどうしても金正日の姿が脳裏をよぎるようになってしまった。
ブルース・リーが「お前の流派は何だ」と訊かれて「戦わずに戦う技術だ」と答えるところが軽やかで印象的。本作でその「戦わずに戦う」ことが実践される箇所は多くないのだけれど(広い意味では、銃弾や火薬を使わず肉体でのみ戦い、西洋の物量主義にアンチテーゼを突きつけている、と解釈もできるかもしれない)、暴力に陶酔するのではなく、必要に迫られて戦うヒーローを描こうとする姿勢が窺えるのは魅力的だ。
思えば僕が格闘漫画のなかで『ジョジョの奇妙な冒険』を好きなのも、主人公ができれば「戦わずに戦う」ことを選びたい、暴力を必要悪として認識していることが描かれているのがその理由のひとつだった。(対して『ドラゴンボール』の孫悟空は「オラ、強い奴を見るとワクワクするんだ」と発言していたはずだ。と、これは余談)
島に着いた直後のパーティーの場面、ブルース・リーの映る画面だけ明らかに質感が違うので、別撮りなんだろうか。