ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』出版記念のトークショーを見てきました(8月5日、三省堂神田本店にて)。実はこういう出版関係のイベントに参加するのは初めてのような気がするのだけれど、本が本だけに、突っ込んだ読み解き談義が展開されて面白かったです。まあ、自分がいかに適当に読み流しているかもわかるということで。とりあえず第2話を含めて少し読み返してみようかとは思った。
若島正氏の、マーシュ博士は物事を記憶するのが苦手で(だからテープレコーダーに頼る)、対してV.R.T.はすぐれた記憶力をそなえている。そのことが例えば作中の「星座」の描写に反映されているのではないか、という指摘が面白かった。
『新しい太陽の書』(未読)は『ケルベロス第五の首』の柳下解説によれば、記憶力の良すぎる語り手と記憶障害を患った語り手によるシリーズものらしい(『神聖喜劇』と『メメント』みたいなものか?)。語り手が何をどのように記憶するかということがテキストを形作るというのは、たぶんジーン・ウルフが好んで描く題材なのだろう。
第2話の標題が"A Story"というからには、逆にここにこそ本当の事が書いてあるのではないかと考えてみたい、という話も納得。
あとはプヒプヒ日記のレポートが参考になる。
観客にはウェブでなじみのある人たちも紛れ込んでいるのではないかと予想していたのだけど、よく考えると面識のある人がほとんどいないので会ってもわからないのだった。
柳下氏がジャケットの下にお気に入り(?)のアヤックス・カタルーニャ版レプリカシャツを着ていたことはもちろん見逃さなかった、と一応報告しておきます。
町山智浩アメリカ日記(8月6日)によると、米国で封切られたM・ナイト・シャマラン監督の新作"The Village"の評判は微妙な雲行きらしい。
まあ、アメリカの観客がシャマランに何を期待しているのかよくわからないので評判にはさして興味ないのだけれど(ちなみに僕は、いつかまた堂々たるバカミス映画を撮ってくれるに違いない、という期待から観ています)、記事内で『アンブレイカブル』の元ネタとして『墜落大空港』(The Survivor)という題名の映画が挙がっているのが気になった。
調べてみたら、ビデオ題は『ジャンボ・墜落/ザ・サバイバー』、1981年の作品で、飛行機事故でひとり生き残った男の周りで怪異が起こる……という話らしい。『アンブレイカブル』の元ネタは『フィアレス』(1993年)だろうと思っていたのだけれど、もっと前にも似たような話があったのか。
IMDbの作品ページを見たら、ちょうど『フィアレス』と『アンブレイカブル』の題名を挙げているコメントがあった(脚本は面白いのに監督が駄目、とも言われているようだけれど)。『フィアレス』と『アンブレイカブル』のどちらも傑作だと考えている者としては、ちょっと気になる。
原作は英国のホラー作家ジェイムズ・ハーバートの『ザ・サバイバル』、脚本はデイヴィッド・アンブローズ(最近、『幻のハリウッド』や『迷宮の暗殺者』が翻訳されて一部で評判の作家)と、それなりに変な話を期待できそうな顔ぶれだ。
Dirty Pretty Things (2002) / 監督: スティーヴン・フリアーズ
主要人物がアフリカ系、トルコ系、中国系……と、非白人、移民の視点からロンドンの裏側を描いていくサスペンス映画。
アメリカのインデーズ系映画ではわりとよくある手法のような気もする。ジョン・セイルズの『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』を、もっと普通の巻き込まれ型サスペンスにすると近いかもしれない。
アカデミー賞の脚本部門にもノミネートされていたので、それなりにひねった話なのかと期待していたけれど、「移民の視点」というのを除くとサスペンスとしてはすごく陳腐な筋立てで、終盤の「勧善懲悪」みたいなのはなんだこりゃと思った。発端となる「トイレに××を捨てる」というのも、話の導入としては面白いけれど特に必然性がなかったように思える。
主演のように宣伝されているオドレイ・トトゥは、実際には表記上二番目の役柄。トルコ系移民の役なので別にこの人でなくても良さそうだけれど(ある程度名の知れた俳優を出さないと客を呼べないのだろう)、髪を下ろした格好の時はあの妙に大きな目に惹かれる。主演のキウェテル・イジョフォー(発音合っているのか不明)は何をしても悪人に見えない感じで良かった(モーガン・フリーマン系?)。こういう地味な男が主人公のサスペンス映画というのもちょっと新鮮な感じはする。