▼ Book Review 2000.6

『宇宙消失』 グレッグ・イーガン
『バカなヤツらは皆殺し』 ヴィルジニ・デパント
『ワン・オヴ・アス』 マイケル・マーシャル・スミス
『朗読者』 ベルンハルト・シュリンク
『闇よ、我が手を取りたまえ』 デニス・レヘイン
『夜が終わる場所』 クレイグ・ホールデン
『ハンニバル』 トマス・ハリス
『スコッチに涙を託して』 デニス・レヘイン

※(ごく主観的な)評価は★5段階。

『宇宙消失』   ★★★★★
グレッグ・イーガン(山岸真訳/創元SF文庫)
Quarantine/Greg Egan(1992)

「たいていの人間は、いろいろなできごとに翻弄されて生きていて、制御の及ばない力に人生を決められているだけなのさ。そんな人間たちが、モッドで自分を変えて何が悪い――それが本人の望みで、それで幸せになれるなら?」
「でも、しあわせになるのはだれ? モッドを使った人物じゃないわ。その人は、もう存在しなくなっているんだから」
(p.147)

■昨年だいぶ評判を呼んだ長篇ハードSF。ハードボイルド電脳探偵が量子論的屁理屈の世界に迷い込んでいく……という変な話なのだけど、単に着想がやたら壮大な大風呂敷ですごいというだけでなく、明らかに小説という媒体でなければ表現できないことに挑んでいて好感を持てる。
■とにかく随所でチェスタトンばりの尖鋭な逆説・屁理屈がたたみかけるように展開されて、うさんくさい論理のアクロバットの積み重ねで読者を煙に巻いていく。「モッド」(ドラッグみたいなものです)による人格改造の是非からはじまって、「忠誠モッド」の解釈、そして量子論的与太話のような宇宙認識に至るまで、ずっとそんな展開。本書は謎解き的な形式をとっていることをよく指摘されるけれども(導入部は私立探偵小説風で、後半になると星々の消失と密室脱出の謎とが一気に解明される! 「史上最大のホワイダニット」なんて誰かが形容していた)、このあたりの筆運びはミステリの「名探偵」の雄弁な解説とどこか似ていなくもない。特に中盤の展開なんて、実際にはまったく大したことが起こっていないにもかかわらず、実にスリリングで感動的。机上の屁理屈だけで宇宙の意味を読みかえてしまう。p.306-307の不意討ちにもびっくりさせられた。下手なメタフィクションものよりよほど小説として刺激的じゃないかと思う。第2部に入るといきなり主人公が洗脳されているという展開も一人称小説としてかなり尖鋭的といえる。
■そして物語中のどの要素も、「自分とは何か?」という個人的かつ普遍的な問いにどこかしら繋がっている。全体のプロットや構成はたしかにまとまりが悪いし演出も器用ではないかもしれないけれど、別に構わないと感じる。
(2000.6.30)

量子論を体現したかのような騙しの文体(尾之上俊彦@SFオンライン)


『バカなヤツらは皆殺し』   ★★★
ヴィルジニ・デパント(稲松三千野訳/原書房)
Baise-Moi/Virginie Despentes(1995)

「今日は弾を手に入れなくっちゃ。きっとすっごいペースで使うだろうから」
「どっちみち、銃砲店を襲わないとね。あたしにも銃が必要だし」
(p.160)

■若い女ふたり組が気ままな殺戮行を繰り広げる、お騒がせな道中記。その加速する容赦のなさは『時計仕掛けのオレンジ』なみに理不尽で、とにかくやたら引き金が軽くてばんばん殺しまくるため、暴走としての濃密さすらあらかじめ失われたような独特のポップでライトなセックス&ヴァイオレンス空間が現出する。ふたりの問答無用ぶりは出てくる人物を次から次へとあっさり無意味化していき、最後のほうでは無責任な「読者」にさえも(おそらく)手痛いしっぺ返しを食わせるクールさ。はっきり言うとあんまりついていけなかったのだけど、こういういわば「バカ女ノワール」は男の鬱陶しさとか臭みから自由で、わりと新鮮ではあるかな。
■ちなみに原題の意味はそのまんま"Fuck me!"ということらしい。そして作者の第二作の題名は直訳すると『調教された雌犬』だそうで、まあ内容は推して知るべしですか。
(2000.6.26)

パンク風『殺戮の天使』による『キラー・オン・ザ・ロード』(古山裕樹)


『ワン・オヴ・アス』   ★★★★
マイケル・マーシャル・スミス(嶋田洋一訳/ソニー・マガジンズ)
One of Us/Michael Marshall Smith(1998)

外側のタイヤを浮かせてサンタモニカ大通りに入ったとき、危うく二人ともおしまいになるところだった。大型冷蔵庫の一団が道路を横断していたのだ。まっすぐ突っ込んでいってもよかったのだが、おれは主義として白系統の家電とは事を構えないと決めていた。あいつらはとにかく重いのだ。(p.67)

■いちおう近未来ハードボイルドになるのかな。過剰なくらいハードボイルド調のひねくれた語り口なのだけど、そこへいきなり目覚し時計がぺらぺらと喋りだし、銀行のATMが「口座は空っぽだよ、負け犬」なんて憎まれ口をたたき、家電製品たちが勝手に道端をうろうろするコミック的ナンセンス・ワールドが割り込んできたりする。そんなとぼけた味の設定はジョナサン・レセムのお馬鹿アニマルSFハードボイルド『銃、ときどき音楽』に近い(ところで早川書房はレセムの次回作をいつ出してくれるんだろう?)。このあたり単なるおふざけで終わるのかと思っていたら、喋る時計(結構かわいい)が物語後半に再登場してくれる場面なんて、意外なほど感動的。時計と家電たちを「妖精」とか「森の動植物たち」に置きかえれてみれば、これはまさにファンタジー物語の枠組みかもしれない。
■そのお茶目な家電たちや、ヴァーチャル電脳世界の描写(ネット・サーフィンはもう古い、とか言って車で移動したりする)など、物語の断片は切り貼りめいているのだけど、そういうつぎはぎ感が逆にとぼけた雰囲気をかもしだしていたりもして、うまいのかへたなのか判然としない不思議な小説。文章をみても、かなりセンスを感じる描写といまひとつ陳腐な言いまわしとが同居していたりする。(前者の例:ある人物を評して「どんな時でも小さな勝利を挙げなければ気の済まないタイプの人間なのだ」(p.409)とか)
■主人公ハップ・トムスンの設定は結構まともで、読者にとって好ましいくらいの知性や哲学(と、へなちょこさ)を備えた人物がどうして卑しい非合法ビジネスの世界なんかに足を突っ込んでいるのか、というこの種の物語で避けて通れない問題に、妻の挿話などを絡めてきちんと説得力を持たせている。レイモンド・チャンドラー流のひねくれた文章へのやけに熱心なこだわりをみても、ごちゃまぜの世界観のなかでハードボイルド・スタイルを自分なりに再現してみるのがいちばんの狙いなんじゃないか、という気もする。
(2000.6.24)

『銃、ときどき音楽』的ずれた世界のミステリ(尾之上俊彦@SFオンライン)
ハードボイルド電脳探偵+『いさましいちびのトースター』


『朗読者』   ★★★★
ベルンハルト・シュリンク(松永美穂訳/新潮社)
Der Vorlesser/Bernhard Schlink(1995)

「わたしは……わたしが言いたいのは……あなただったら何をしましたか?」(p.107)

■なぜかずいぶん売れているらしいドイツ産の小説。少年と年上の女性の織りなす少し奇妙な恋愛物語からはじまって、ナチス時代の罪悪といかにして向き合うか、という問題に踏み込みながら意外な展開をみせていく。途中、かなり伏線の効いた秘密の暴露があって、個人的にはあらかじめ見当がついてしまい驚きはしなかったのだけれども、その時点までに語られた物語の「意味の読みかえ」をおこないながら後につながる巧みな構造になっている。仕掛けが物語ときれいに重なって効果をあげている、ということ。訳者によれば大学教授である作者はミステリも書いている人らしいけれども、それも納得の出来。ふたりの「少し奇妙」な関係の扱いもなかなか巧妙で、それが序盤で読み手をひきつける推進力になり、また多少の不審点にも目をつぶらせるカモフラージュとしても機能している。
■書きようによっては押しつけがましくなりそうな「公」的な題材を、終始「私」的な観点から語りとおすことで、説教くさくなるのを免れている。歴史の責任なんてのはきわめて私的な「物語」のなかでしか伝えられないものだし、そうした要素を無視した言論はどこか嘘くさい、ということだろう。題名にも反映されているとおり、とてもまっすぐな意味で「物語を伝えること」についての物語、でもあると思う。後半はお涙系の展開に行きそうなのだけど、これもわりと素直に読めて嫌らしさを感じさせない。
■まあ、そう騒ぐほどでもないような気もしないではないけれど、静かな文体で繊細かつ真摯に語られる佳作。
(2000.6.22)

『闇よ、我が手を取りたまえ』   ★★★★
デニス・レヘイン(鎌田三平訳/角川文庫)
Darkness, Take My Hand/Dennis Lehane(1996)

母が昔言ったように、人を完全に理解することはできない。ただ、たがいに反応しあうだけだ。(p.293)

『スコッチに涙を託して』の続編で、ボストンの私立探偵パトリック・ケンジーもの第2作。「邪悪」と正面から対決する物語ということで、よく題名を挙げられるローレンス・ブロックの『墓場への切符』あたりもたしかに踏まえてはいるのだろうけれども、個人的にはむしろスティーヴン・キングの大作『IT』を明らかに意識したうえで書かれているように思えた。主人公たちは、少年時代に邂逅していた邪悪な存在「死の道化師」(これはほんとにそのまんまなので、意図的なものでしょう)と、大人になってからふたたび対峙させられることになる。その背後にちらついて邪悪の種を伝播させつづけている黒幕の存在はほとんど、アメリカの悪意の根源「IT」そのもの。前作を読んだかぎりでも探偵と事件とをいかにして物語的に(探偵の内面で)結びつけるか、という問題にかなり意識的な作家と思えたけれども、そこに『IT』の運命的な対決の構図を持ち込んできたということになるだろうか。
■台詞や文章の切れ味は前作よりこころもち落ちるかもしれないけれど、社会的な要素を物語のなかで箱庭的に描きとりながら、動機をどこにも還元しない独特の筆さばきは健在。「邪悪」の伝播を物語の前面に据えながらも、そのしくみはあくまで解明しようとしないまま提示しているし、それからパトリック・ケンジーの父親らの組織していた地元のろくでなし自警団の扱いも結構ひねりがあって興味深い。
(2000.6.17)

『夜が終わる場所』   ★★★★
クレイグ・ホールデン(近藤純夫訳/扶桑社)
Four Corners of Night/Craig Holden(1999)

「だった、じゃなくて、いい子だ、だろう」バンクが訂正した。警官、ことに失踪事件を扱う警官は早くから、時制の使いかたに注意しなければならないことを学ぶ。(p.47)

■まっとうな警察捜査ものと思わせておいて、なかなか一筋縄ではいかない物語展開。なんといっても作者が意図的にやたら時系列を錯綜させている。現在(といっても過去形)の少女失踪事件と7年前の少女失踪事件とがかわるがわる語られるうえ、語り手がそこで何の弁明もしないので、ぼんやり読んでいるといつの話なのやらわからなくなったりするくらい。おまけに少年時代や学生時代の思い出話までたまに混入してくるし。そういえばユダヤ人警官が恣意的な語りを繰り広げるという点では、まったく毛色は違うけれどもダン・ゴードンのオフビートなクライム・コメディ『死んだふり』と、なぜか共通している。
■そんなふうに渾然とした重層的な叙述のもとで、ひとつひとつゆっくりと物語がひもとかれていくさまは、トマス・H・クックによる例の「記憶」ものに近いたくらみだろうか。加えて、たとえばスコット・トゥローがいくつかの作品でやってみせたように、真相の提示が登場人物の「人生」の意味を塗りかえる、という物語的な達成も果たしている。個人的には、(おそらく)いちばんの秘密じたいは早くからだいたい想像ついてしまったのだけれども(p.26の記述はバカ伏線か?)、決して一方的な断罪に終わらせていないし、使いかたはかなり巧みじゃないかと思う。
(2000.6.17)

『ハンニバル』   ★★
トマス・ハリス(高見浩訳/新潮文庫)
Hannibal/Thomas Harris(1999)

あの"トウモロコシパンのような田舎っぺの女"という名文句に引きつづいてスターリングに投げてやる言葉も、クレンドラーは頭の中で練っていた。(中略)――「いくら南部の白人のクズでも、その歳でパパと乳繰り合うのはやめたらどうだ」
 その台詞を頭の中でくり返してから、これは手帳に書いておこうと彼は思った。
(p.215/Vol.2)

■これって結局キャラいじり小説ではないだろうか。なんだか最初から最後まで、大がかりな同人誌みたいな雰囲気だった。菊池光の訳文が苦手なのでかの有名な『羊たちの沈黙』も読んでない(さすがに映画は観てるけど)ふまじめな読者としては、もう少し独立して愉しめるような物語を期待していたのだけどな。
■わりと興味深いのが、現実の世界と同じように作中の設定でも、すでにハンニバル・レクター博士は世紀のサイコキラーとして、いわば「現代の伝説」たる世界的な人気者となってしまっていること。レクター・グッズをため込んでこまめに売りさばいていたらしいもと看護士バーニーの姿は、作者自身の立場ともなかば重なるものがある。第二部・フィレンツェ編の冒頭、「残忍な拷問用具の展覧会」がカップルのデートスポットになっていて、「フェル博士」のレクターがそれらの観客の表情を好んで見つめている、という挿話も、これまた作者が読者を冷ややかに見つめているようなかんじ。そんな読者をあっさりと突き放してやりたい放題やってみました、ということなんだろうか。出てくる人物はどれもこれも漫画的な変態ばかりだし、悪のり系の饒舌な文章とかやたら大げさな物語展開はほとんど山田風太郎なみ。本作でレクターやクラリス・スターリングの扱いに幻滅したという読者がいるなら、それはたぶん作者ハリスの思惑どおりなんじゃないかと思う。(映画版を観たかぎりでは)前作のラストは相当にまっとうな幕切れだったと思うので、そのうえまじめな続編を望むのがそもそも筋違いなのかもしれない。
■一世を風靡してしまったヒーローの落しどころをなんとかつけるという意味では、たとえば中期以降のエラリイ・クイーンなんかにも少し通じるものが……なくもないかな。ただしトマス・ハリスは無論そんなことにうだうだと悩んだりはせず、もう完全に開き直って好き勝手に書いてるみたいだけど。
(2000.6.11)

【よその論評】
レクター博士のなんとなくジェームズ・ボンド化(wad)
凄みも魅力も失われたレクター(風野春樹@サイコドクター)
モンティ・パイソン風の偶像破壊ブラック・コメディ(古山裕樹)


『スコッチに涙を託して』   ★★★★
デニス・レヘイン(鎌田三平訳/角川文庫)
A Drink before the War/Dennis Lehane(1994)

「黒人にとってのアメリカン・ドリームなんてものは、独房の中にぶらさがっているヌード・グラビアみたいなもんだ」(p.317)

■ボストンの私立探偵、パトリック・ケンジー(&アンジー・ジェナーロ)連作のひとつめ。ジェイムズ・エルロイらによる(実践的な)私立探偵批判の文脈を充分に踏まえたうえで、なおもレイモンド・チャンドラー流のひねくれた比喩やすかした台詞といった書法にこだわった、いわば「90年代型」の正統派私立探偵小説。黒人差別やスラム街の抗争、児童虐待なんかの社会的な問題をきっちりと物語に乗せて描き出し、主人公はただ事件を傍観するのではなくみずからもその渦中に巻き込まれて行動や決断を問われることになる(このまま運命論者に終始していいのか?と主人公が自問する場面まで用意されていて、かなり自覚的)。総合的には、アンドリュー・ヴァクス+ローレンス・ブロックみたいな路線だろうか。
■作者の筆さばきは適度のバランス感覚を保っていて、物語を構成する要素は「社会」にも「個人」にも単純に還元されることはない。主筋となるふたりのブラック・ギャングの首領の抗争は、もちろん人種差別その他の社会的な問題を背負ってはいるけれども、歪んだ親子関係に端を発するきわめて個人的な対立でもある。主人公があえて事件に熱く深入りしていく事情も、亡き父親がらみとかの個人的動機ばかりではなく、かといってただ単に社会正義を代弁するためというわけでもない。そうやってさまざまな事情の絡み合った世界観のもとだからこそ、主人公の下すふたつの「決断」に読者は切実さや共感をおぼえることができるのだ。そういえば、主人公がそこそこ弱くて(女性の相棒アンジーのほうが撃ち合いで強かったりする)脇役にやたら強いやつが配されていたので少しいやな予感がしたのだけども、このあたりも結局無理のない具合に均衡を保って物語を進めている。
■文章もさすがになかなかのもの。クライマックスを演出する緊密な文体もいいし、それがなかば緩んだときの情感あふれる描写もすばらしい(「通りは、まるで文明そのもののように輝いていた。」(p.292)なんて、鳥肌ものじゃないだろうか)。原題の「闘いの前の一杯」(というかんじか)のとおり、「闘い」の緊迫感をきちんと描くからこそ「一杯」に込めたひとときの感傷がひきたつわけで、だから後者のほうばかりを強調するこの邦題はどうも物語の魅力を伝えきれていないよな、といまさらながら思う。
■主人公が事件のなかで「個人」として揺るがされるものの、けれどもそれが続編を成り立たさせないほど過剰にはならない、という点でも最後までかなりバランスのとれたスタンス。これは次作も読まなければいけないかな。
(2000.6.3)

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