▼ 2003.02



2003-02-01

漂流するメディア政治

北朝鮮拉致事件、和歌山カレー事件の報道問題など。紹介されているドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』(上映中)には、ちょっと興味を惹かれた。

『プリズム』解説

「見下げ果てた日々の企て」のレビューで、先頃文庫化された貫井徳郎『プリズム』(創元推理文庫)[amazon] [bk1]の解説を同年輩の小池君が執筆していたことを知る。書店で拾い読みしてみたところ、まじめで良心的な解説だった。(参照項として連城三紀彦を持ってくるのは、読んだ当時思いつかなかった)

『プリズム』は、『毒入りチョコレート事件』的な推理合戦/多重解決ものをドラマ的な必然性をもって展開することに挑んだ秀作で、お薦め。同じ作者の『慟哭』よりも良くできていると思う。

ちなみに、この本の作者後書きがポオの「マリー・ロジェの謎」を持ち出しているのは、瀬戸川猛資のコリン・デクスター論(『夜明けの睡魔』[amazon] [bk1]収録)に影響を受けたものだろう。貫井徳郎は各地での発言を見るかぎり自分の定見がないというか、他人の言説に説得されやすい人みたいなんだけど、これはその点が良い方向に出た作品だと思う。

『不思議な少年』

マーク・トウェイン/中野好夫訳/岩波文庫
[amazon] [bk1]
The Mysterious Stranger - by Mark Twain (1916)
★★★

マーク・トウェインの遺稿に編集者たちが色々手を加えて出版したという、いわく付きの作品。元が未完成作らしいだけあって内容は散漫な気もするけれど、逆に作者の「人間なんて獣よりも愚かで醜い」というような厭世的思想が未整理に漏れてしまっている感じがそれなりに興味深い。金銭をめぐって愚行に走る人々の行為を超越的に眺めるという「ハドリバーグの町を腐敗させた男」路線の話で、

「ちゃんとわかっているからだわよ。神様の思し召しがなきゃ、雀一羽だって落ちやしないんだからね」(p.71)

などという台詞があるのを読むと、ジム・トンプスンの『ポップ1280』はきっとこの作品の影響を受けて書かれたのではないかと思う(一応「ニック」と呼ばれる人物も登場する)。

2003-02-02

『明日という過去に』

連城三紀彦/幻冬舎文庫
★★★★

連城三紀彦の1993年の作品。二人の女性の往復書簡から、長年の嘘にまみれたそれぞれの夫婦の愛憎関係が浮かび上がってくる。『美女』収録のいくつかの作品や『白光』に近い感じで、そこまでやるかという人工的などんでん返しにこだわった作品。「手紙」がそのまま提示される形式を採っていることから、テキストに虚偽の記述を交えることが「読者を騙す」ための単なるひっかけになっているのではなく、手紙の相手に対して真実を隠蔽するという物語的な意味を持つようになっているのが巧い設定(それでも無理は出ているけれど)。すべてが作中人物による「手紙」で語られるので、究極的には何が真実なのかを保証する裏付けが何もないというのも、人物が「心理」に還元される連城作品らしい趣向だと思う。

解説の中村彰彦氏は、連城作品を「見事な心理小説」で「もはやミステリーと呼ぶのは失礼」と断じる、典型的な「ミステリよりも文学のほうが高尚」論者。いまどきこんな人がいるのね。

『キス★キス★バン★バン』

Kiss Kiss (Bang Bang) (2000)
★★★

英国の人情コメディ風スリラー映画の小品。米国の娯楽映画の意匠を欧州系の渋いセンスでまとめた感じの路線で、『ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア』なんかが近いだろうか。こういう映画は有名な映画祭で賞を獲ったりしないから、日本で公開されるのはとりあえず嬉しいけれど、この作品の出来はさほどでもない。

殺し屋稼業から足を洗った主人公が、新たな仕事として「子守り」をはじめる(a)、脱退した元の組織から命を狙われる(そこに弟子のポール・ベタニーが絡む)(b)、というふたつの話が交互に進められる構成。主筋となる(a)はちょっと奇妙な人情話/擬似親子ものとして悪くないし、俳優の演技も危なげない(特に主人公の恋人役のジャクリーン・マッケンジーが巧いと思った。こういう「若くないキュートな女性」を外さずに演じるのは結構難しい気がするので)。対して脇筋となる(b)の変調フィルム・ノワール風の追跡劇は、オフビートを意図したような人物造型や展開がことごとく外していて苦しい。さらに、(a)と(b)が交錯して起こる出来事がまったく予想の範囲を越えないもので、何か思わぬ方向へ事態が転がってしまうような面白味を感じられない。並行するふたつの物語を結びつけるのに失敗しているという印象が残った。

『暗い日曜日』

Gloomy Sunday (1999)
★★

第二次世界大戦前夜、ハンガリーのブダペスト。「自殺の歌」として伝説的なヒット曲になったらしい「暗い日曜日」の誕生をめぐる男女の秘話を捏造(たぶん)してみせる映画。前半、ふたりの男がひとりの女を共有する、という微妙な恋愛関係が真顔で語られてしまうところは、これをいったいどう転がすつもりなんだろうと興味を惹かれたのだけど、後半になるとありきたりなナチス・ドイツ告発ものの様相を呈してしまって、結局この程度のことをやりたかったのかと落胆する。『シンドラーのリスト』が撮られた後に、それよりも素朴な視点でナチスを指弾されてもなあ。題材の「暗い日曜日」になじみがあれば、何気なく知っていたあの曲にこんな物語が……という、読み替えの面白さを味わえるのかもしれないけれど。(『舞踏会へ向かう三人の農夫』における写真のような感じか)

ヒロインのエリカ・マロジャーン(ハンガリー出身)は美しく、相当な魅力がないと成立しないこの役柄に説得力を持たせているのは立派。映像は綺麗な感じがするけれど、それは舞台設定の魅力に依存していて、例えばすさまじく映像が流麗だった『鳩の翼』のように絵画的な構図で見せるほどの作り込みはなされていない。

2003-02-03

『ワールドカップ・メランコリー』

サイモン・クーパー/森田浩之編訳/広済堂出版
[amazon] [bk1]
★★

『サッカーの敵』のサイモン・クーパーのコラムをまとめたものらしい。興味深い話題もあるけれど、一冊の本として書き下ろしたものではないようなので、ちょっと内容が散漫。ワールドカップを控えた日本に関する記事は、英国の平均的なホワイトカラー層の日本に関する意識はこんなものだろうな、というのがわかる程度で、やはりこの人も取材しないと凡庸なことしか書けないのだなと思った。

2003-02-04

『この闇と光』

服部まゆみ/角川文庫
[amazon] [bk1]
★★★

前半部分は、目の見えない語り手の視点で言葉だけの世界が形作られていく。小説的な魅力があって構想としては面白いのだけど、この書き方だと前半部に対して何らかの「種明かし」が待ち構えているだろうことは予想できてしまうので、どうせ後からひっくり返されるんだし、と思うとまじめに読む意欲を削がれる。最近読んだものでは『きみの血を』と似たような問題を抱えていると思った。

作中テキストは途中でいきなり『異邦人』の真似が入ったりする。設定からすると、もうちょっとその種のメタフィクション的な工夫があっても良かったかもしれない(こちらも結構見逃しているかもしれないけど)。鷹城宏の解説は無内容な自己陶酔の典型。読む価値なし。

2003-02-09

『ムーン・パレス』

ポール・オースター/柴田元幸訳/新潮文庫
[amazon] [bk1]
Moon Palace - by Paul Auster (1989)
★★★★

主人公の場当たり的な行動に導かれて、出会った人々をめぐる奇妙なエピソードが連ねられる。小説の構成としては全体の整合性が薄くて散漫なのだけれど、作者ポール・オースターの思想がそのまま表出してしまっているようなところがあって興味深かった(と、似たようなことをマーク・トウェイン『不思議な少年』の感想でも書いた気がする)。ただ『リヴァイアサン』と同じく、中盤で語り手が「他人の物語」を代弁して語りはじめ、主人公が物語に介入する余地が少なくなるところで、小説の緊張感が薄れるのが気にならなくもない。

主人公の「僕」は私生児として生まれ、父親の顔を知らないまま育った青年だ。この小説のなかで彼の前には、その空いた「父親」の位置を部分的に占める三人の人物が登場する。母親の兄弟、クラリネット吹きのビクター伯父さん。主人公の雇い主となる謎の富豪、トマス・エフィング。そしてようやく最後にたどり着く、血縁上の本当の父親。印象的なのは、この三人がみな小説内で命を落とし、主人公の前から姿を消すことだ。つまりこれは「父親探し」の物語であるとともに、父親の喪失と徐々に折り合いをつけていく「葬送」の物語でもある。主人公はビクター伯父さんの遺した大量の書物を読み切り、トマス・エフィングの遺言に従って彼の死亡記事を書き残す。文章や書物を通じて、彼らの人生=物語をこの世に刻みつけておくということだと思う。

ビクター伯父さんがよく言っていたように、もしも人生がひとつの物語であり、人はそれぞれ自分自身の物語の作者なのだとしたら、僕は自分の物語を、その場その場で捏造しながら進んでいた。決まったストーリーというものを持たず、一つひとつのセンテンスを思いつくままに書き綴り、次にどんなセンテンスが来るのか、いっさい考えようとしなかった。(p.67)

ポール・オースターの描くエピソードは、たいていどれも小説を書くこと/読むことのアナロジーとして読める。これは例えば何らかの「芸術家」を主人公にすることが多いスティーヴン・ミルハウザーの小説と共通するけれども、オースター作品の立場がそれと異なるのは次のような意識を持っている点だろう。

芸術の真の目的は美しい事物を作り出すことではない、そう彼は悟った。芸術とは理解するための手立てなのだ。世界に入り込み、そのなかに自分の場を見出す道なのだ。一枚のカンバスにいかなる芸術的特質があろうと、それは、物事の核心に迫るという目的に向かって努力していく上での、ほんの副産物のようなものでしかない。(p.249)

この文章の「芸術」を「小説」と読み替えると、おそらくポール・オースターの小説観に近いものが導き出せるのではないかと思う。小説は世界を理解するための道であり、先に引用した「人生はひとつの物語だ」という哲学に照らせば、きっと人生もまたそうである、ということ。

2003-02-12

第75回アカデミー賞候補発表

今回、賞レースに絡んでいる作品はわりと観たい感じのものが多い。撮影賞のコンラッド・ホール(『ロード・トゥ・パーディション』)は鉄板か。クリス・クーパー("Adaptation")が助演男優賞を獲るかどうか注目。

『鳥』

The Birds (1963)
★★★

アルフレッド・ヒッチコック監督のパニック映画の古典。エヴァン・ハンター(=エド・マクベイン)脚本なのは有名。

鳥の襲撃場面をはじめとする合成画面はいま観るとだいぶ苦しい。『サイコ』(1960)に続くヒロインいじめ趣向ということか、ティッピ・ヘドレンは執拗に鳥たちの襲撃に遭って血を流す(少なくとも電話ボックスと階上の部屋での襲撃場面は、物語的な必然性がほとんどなく、ただヒロインをひどいめに遭わせるためにやっている感じ)。パニックものなのに襲われる主人公たちをちっとも魅力的に描こうとしていない、というのは結構すごいかもしれない。

ダフネ・デュ・モーリアの原作(短篇)は、世界大戦でのドイツ軍による英国空襲の恐怖が悪夢的に投影された小説だった。この映画版でも劇中の人々の会話で「戦争」という言葉が口にされる。時期的にもキューバ危機と近いころで、ちょうど全米の戦争への危機感が盛り上がっていたのと合致したのかもしれない(似たような文脈では、例えば『博士の異常な愛情』(1964)が翌年)。

2003-02-15

『ボーン・アイデンティティ』

The Bourne Identity (2002)
★★★★

マット・デイモン主演のスリラー映画。監督のダグ・リーマンは前作『go』がティーンズ版『パルプ・フィクション』といった感じのつまらない作品だったから期待しないで観たけれど、これはなかなか丁寧な造りのスリラー映画で悪くなかった。CGを駆使した過剰で「超人的」なアクション演出が全盛のなか、あくまで論理的に可能な範囲で構成された娯楽映画を提供しようという気概を感じられる。(例えば、主人公が米国大使館から脱出しようとする場面で、きちんと建物の見取り図を確認する、などの細かい配慮がなされているのが良い)

主人公のジェイソン・ボーン(マット・デイモン)が記憶を失った状態からはじまり、自分の残していた手がかりをたどっていくという、『メメント』風味の趣向が入った筋書き。この設定はたぶんマット・デイモン主演の前作『リプリー』と対応しているのではないかと思う。『リプリー』でマット・デイモンの演じた主人公トム・リプリーは自分でない者になりすまそうとする人物だったけれど、その結果『ボーン・アイデンティティ』でのマット・デイモンは自分が何者なのかわからなくなってしまった人物として登場し、失われたアイデンティティを取り戻していくことになるのだ。(そしてこの映画は、『リプリー』の舞台だった地中海での場面から幕を開ける)

この種の話法を採ると、「これまでに何が起きたのか/これから何が起こるのか」の時系列的な双方向の興味を並行してサスペンスにすることができるので、映画としての進行が良い感じになる。ただし、過去を隠して謎解き構成にしたために終盤の展開が説明的になってしまうのが残念(種明かしが登場人物の台詞で説明される)。そこで明かされる話の内容も荒唐無稽でたいしたことはないんだけど、その点は原作がロバート・ラドラム(『暗殺者』)らしいので仕方ないところか。

何度か出てくる接近戦の格闘場面はTVゲーム的な単調さでいまひとつ面白味に乏しい。久々に見た気がする「スナイパー同士の対決」(ギャビン・ライアル的?)にはちょっと興奮した。これが本作のクライマックスだろう。

主人公を反逆者として始末しようとする敵役のボスに、クリス・クーパー。『ふたりの男とひとりの女』もこんな役柄だったけれど、眉毛の薄い酷薄そうな顔で悪役として定着しつつあるような気がする。

2003-02-22

『戦場のピアニスト』

The Pianist (2002)
★★★★

ロマン・ポランスキー監督、渾身の力作といった感じ。特に前半はいまさら「ナチスの暴虐」を延々と再現されてもなあとうんざりしかけたところもあるけれど、俳優の演技・丁寧な演出・端正な映像ともに素晴らしく、迫真の作品なのは確かだと思う。

ナチス・ドイツ侵攻後のポーランドを舞台にしてユダヤ人への迫害を描いた映画という文脈で、スティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1993)を思い出させる(伝記本の映画化という経緯も含めて)。『シンドラーのリスト』の本編は記録フィルム風のモノクロ映像で構成されていたけれど、この『戦場のピアニスト』は普通にカラーの映画。これは、戦後生まれ(1946年生まれ)でユダヤ人迫害を直接には知らないスピルバーグの「後世の視点」と、1933年生まれでポーランドのゲットーを実際にその目で見て体験しているポランスキー(幼少時にゲットーを脱出して逃亡生活を送っていたという壮絶な過去があるらしい)の「目撃者の視点」の感じるリアリティの差を反映しているのかなという気がする。『シンドラーのリスト』のヤヌス・カミンスキーも良かったけれど、この『戦場のピアニスト』の撮影監督、同じくポーランド出身のパウェル・エデルマンの映像も素晴らしい。

主人公のシュピルマンは非力なピアニストで、劇中でほとんど主体的な行動を起こさず、歴史の波と出会った人々の申し出に流されていく受け身の人物。彼の視野の範囲内で、ナチス・ドイツ侵攻(1939年)から連合軍による解放(1945年)までのワルシャワの歴史の断片が描写される。当時無力な子供だったためにただ逃げることしかできず、自分の両親を含めて誰のことも救えなかっただろうポランスキーがこの主人公に共感したのはわかる気がする。

ドイツ人がドイツ語を喋り、ポーランド人が英語を喋るという不均衡が、この映画の立場を象徴しているようで気になった。また、善人は容貌も良く、悪人は容貌も醜い、という「わかりやすい」映像化がなされているところも。(まあ、主人公の視点から主観的に見たらそうなるのかもしれないけれど)

楽器を弾くどころではない逃亡生活を強いられたピアニストの物語という枠組みと、ポランスキー監督自身の受難の体験を再現するという思い入れが、必ずしも合致していない気もする。

そんなわけでいまひとつひっかかる内容なのだけれど、廃墟と化したワルシャワの光景や、建物が砲撃を浴びて耳が「ツーン」となる感覚を再現した場面など、臨場感のある場面構築に感心した。

2003-02-23

『モンスター・ドライヴイン』

ジョー・R・ランズデール/尾之上浩司訳/創元SF文庫
[amazon] [bk1]
The Drive-in - by Joe R. Lansdale (1988)
★★★

『蝿の王』のサム・ライミ風変奏曲。ランズデールが「スプラッタ・パンク」派の作家として認知されていた理由がよくわかる作品。『バトル・ロワイアル』なんかもこれに近いだろうか。いま読むと、パッケージから予想される範囲を超えた作品ではなかったという感想。たぶん小説でしか描写できない、悪い冗談のような「ポップコーン・キング」の造型が良い。

『陽気なギャングが地球を回す』

伊坂幸太郎/祥伝社ノン・ノベル(2003.2)
[amazon] [bk1]
★★★

帯の文句にある「クライム・コメディ」というよりは、『スティング』や『紳士同盟』などのコン・ゲームものに近い。最近こういった系統の話を書く人は少ない気がするので、貴重な存在。愉しく読めたけれども、書き方が律儀すぎるせいか、ひっかけ的な展開を大体読めてしまうのが難といえば難だろうか。この作家はいつも「名探偵」的な人物の扱いが独特で、この作品でも「人間嘘発見器」の成瀬の造型が印象的。

『闇に踊れ!』

スタンリイ・エリン/安部昭至訳/創元推理文庫
The Dark Fantastic - by Stanley Ellin (1983)
★★★

スタンリイ・エリンは1986年に亡くなっているので、これはかなり晩年の作品。(1).引退した歴史学教授が自身の「犯行計画」の顛末を記録したテープレコーダー(一人称語り)、(2).そこに絡む私立探偵の視点による三人称叙述、が交互に語られる。この二通りの叙述を並行させた必然性ががいまひとつ出ていなくて焦点のぼやけた作品になっているけれども、(1)のほうは最近でいえばチャック・パラニュークの『サバイバー』のような病的な語りの面白味があるし、(2)の内容は『第八の地獄』の作者らしい、事件の捜査とロマンスを絡ませた筋書きで、それなりに興味深い。

それにしても"The Dark Fantastic"。原題が格好良い。

『泥棒は野球カードを集める』

ローレンス・ブロック/田口俊樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
[amazon] [bk1]
The Burglar Who Traded Ted Williamus - by Lawrence Block (1994)
★★★

前作『泥棒は抽象画を描く』(1983)から10年ほどの沈黙を経てのシリーズ再開作品。野球カードをめぐる争奪戦と殺人事件に巻き込まれ、最後はアガサ・クリスティ風に関係者一同を呼び集めて推理を披露する(密室殺人も出てくる)。まあ、安心して読めるいつもの泥棒バーニイもの。スー・グラフトンへの言及がしつこく出てくる。前半のキャロリンとの無駄話は面白かったけれど、謎解きに入ってからはお決まりの展開で興味が薄れる。やはりこのシリーズの白眉は第四作の『泥棒は哲学で解決する』だろうと思う。

『ガーデン』

近藤史恵/創元推理文庫(1996)
[amazon] [bk1]
★★★

自意識過剰な少女小説の語り口で綴られる探偵もの。京極夏彦『魍魎の匣』の少女視点パートなんかがこれに近いだろうか。普通なら単なる無理筋になるだろう登場人物の行動動機が、この少女小説の語り口に違和感なく溶け込んでいるのがあまり読んだことのない感じで、興味深かった。ただ、この種の「無理な動機」を出すのは作品中のどこか一箇所に留めたほうが効果的だったと思う。連発されるとさすがに説得力が薄れてくる。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』

Bowling for Columbine (2002)
★★★

マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー・フィルム。評判になっているので期待して見たせいか、さして目新しい論点もなく、反米・反WASP・反ブッシュ路線の主張が粗雑に放り出されているだけの内容に拍子抜け。作中の「サウスパーク」風アニメーション(「馬鹿にもわかるアメリカの歴史」だったか)の想定レベルの低さがこの作品の性質を象徴している気がする。

「サウスパーク」との相似はeiga.comのインタビューでも語られている。

2003-02-26

『ゲームの規則』DVD化

吉野仁氏の2/25付記述を見て、映画史に燦然と輝く不朽の名作!とされる『ゲームの規則』(ジャン・ルノワール監督)が最近ようやくDVD化されていたことに気がついた(2/22発売)。さっそく注文する。まあ、例えば『市民ケーン』の何が良いのかよくわからなかった僕のような者には、猫に小判かもしれないけれど……。

あとは、英語吹替版しか見たことがない『まぼろしの市街戦』のDVD化を希望。

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