▼ 2002.02



2002-02-02

『息子の部屋』

La Stanza del Figlio(2001)
★★

ナンニ・モレッティ監督・主演作品。何ひとつ「非日常」的な瞬間の訪れないまま終わる、いわば「糞リアリズム」のお手本のような退屈な映画だった。個人的には、映画なんてもともと虚構の世界を見せるものなのだから、この種の「現実味のある日常」を少しも逸脱しない映画を撮影して何がおもしろいのかよくわからない。俳優たちの「抑制された悲痛」の繊細な演技はたしかに見事で賞賛に値するのかもしれないけれど、他方でどうせ演技だからなあ、との白々しさも拭えなかった。

「喪失したあとの家族」の話という意味では『スウィート・ヒアアフター』にも通じるけれど、この作品にアトム・エゴヤンのような才気は感じられない。ただ、身近な人を亡くした経験の残っている人には、身につまされる話として支持されそうだとは思った。母親役のラウラ・モランテは綺麗で好感。

2002-02-03

『アメリカン・サイコ』

American Psycho(2000)
★★★

メアリー・ハロン監督作品。原作はいうまでもなくブレット・イーストン・エリスの同名小説(1991)で、ウォール街のエリートが娼婦とホームレスを殺戮しまくる1980年代ヤッピー風刺もの。映画化としてはどうも「いまさら」感の否めない作品なのだけど(それにWTC倒壊後のいまとなっては、この程度のアメリカ風刺なんてお気楽なものにも思える)、「名刺合戦」などの細部は笑えるし、主演のクリスチャン・ベールも結構頑張っているので(でも英国人なんだよね……)、それなりに愉しめた。ジョン・ケイルの音楽も虚無感があって良い。

ちなみに原作で「特別出演」していたトム・クルーズの出番はなし。ちょっと残念。

2002-02-04

『第三の警官』

フラン・オブライエン/大沢正佳訳/筑摩書房
The Third Policeman - by Flann O'brien(1967)
★★★★

アイルランドの作家の奇想小説。とにかく出てくる人物と言説がどれもすさまじく常軌を逸している話で、「あらゆる移動は幻覚にすぎない」「地球はソーセージ型」「人間と自転車の原子交換説」など、眩暈をおぼえるような怪理論が次々と飛び出してくるのが圧巻。語り手の信奉する謎の著述家「ド・セルビィ」の、ほとんど酔っ払いとしか思えない論述もすばらしい。

個人的には、「会話が堂々めぐりする」「どこまでも出口がない」など、『キャッチ=22』と共通する点が多いのではないかと思った(どことなく「モンティ・パイソン」のギャグを思い出させるところも似ている)。SF読みの人なら「ラファティに近い」と感じるかもしれない。

この作品は1940年に執筆されたものの発表は1967年になった作品なのだそうで、そこに実際どんな事情があったのかは知らないのだけれど、たしかに1960年代なら追い風の吹きそうな奇抜な話ではあると思う。

ちなみに、作者のフラン・オブライエンはその前年の1966年に亡くなっている。つまりこれは、名実ともに【死者の書】として世に送り出された小説ということになる。

2002-02-07

『殺す・集める・読む』

高山宏『殺す・集める・読む』(創元ライブラリ)[amazon] [bk1]を読もうかと手に取ってみたのだけど、著者のあとがきに目を通しただけでいきなり読む気の萎える本だった。少し抜き出してみるとこんなかんじ。

では、お尋ねします。「密室殺人」とおっしゃいますが、「密室」って何なんでしょう、そして「殺人」とは一体このジャンルにとって何なのでしょうか。(中略)何もかもを「あったりまえ」ということで、多分余りよく理解できていないまま、月ごとの新刊追跡の中で、ただただ消費しているというのが実情のマニアカルな読者は、口で愛するというほどには実は、本当の推理小説を愛しえていないことにはならないでしょうか。(p.297-298)

近代推理小説をマニエリスム/バロックへの先祖返りとして論じた試みがただのひとつもないことに、マニエリスム研究者、バロック研究者として出発したぼくは、今からもう二十年も前のことですが、いきなり吹き出してしまいました。(p.299)

どこをとってもこの種の嫌味ばかりの文章で、要するにこの人は「ぼくちゃん物識りでしょ」と言いたいだけなのね。自己紹介によれば「〈魔〉と呼ばれるくらい近代西欧のことなら手当たり次第に学び、知ろうとしてきた」(p.299)そうなのだけど、この文章を読むかぎりでは、「知識」と「知性」は必ずしもともに備わるものではないんだな、と実感せざるをえなかった。

2002-02-08

隠れた物語

柴田元幸『愛の見切り発車』(新潮文庫)[amazon] [bk1]を読み返してみたら、『グロテスク』の作者、パトリック・マグラアへのインタビュー記事が掲載されていた。「隠れた物語――パトリック・マグラア」という、短い記事だけれども内容はなかなか興味深いもの。

「語り手が自分の物語を語り出せば、読者はとりあえずその話を信じます。ところがそのうちに何となく話が歪んできて、これはどうも妙だぞと思いはじめる。そうなると、どこまでが本当でどこまでが嘘かを、読者は自分が判断しなくちゃならない。表に出ているのとは別の、隠れた物語を見つけなくてはならないわけです。これは私にはとても面白い方法に思える。『グロテスク』からはそれをかなり意識的に追求しているんです」(p.242)

これはいわゆる「信頼できない語り手」論の典型といっていいだろう。現代作家でその名手といえば、やはり外せないのが日系英国作家のカズオ・イシグロで、柴田元幸もここでイシグロの『日の名残り』の話題を振って感想を引き出している。

「イシグロは静かなリアリズム、私はゴシック、とトーンはずいぶん違うけれども、『日の名残り』の語り手の執事も、かつての主人がおそらくはファシズムの手先だったという事実になかば気づきながらも、少しずつ美化するような形で語っている。彼もやはり〈隠れた物語〉を抱えた語り手だね」(p.243-244)

『日の名残り』と『グロテスク』は、作者がどちらも英国の教育を受けながら、少なからずそこから外れた資質を持った人物で(イシグロは東洋系、マグラアは米国在住)、「大英帝国」の落日を相対化して描いているようなところも似ているだろうか。あとは、気になる現代作家として筆頭にイアン・マキューアンの名前を挙げているのも、個人的には納得のいくところだった。(イアン・マキューアンも「歪んだ一人称叙述」「隠れた物語」の手法を得意とする作家だと思う)

ところで、ミステリも「隠れた物語」を探究する小説形式だと考えれば、これらの作家の試みと通じる要素があるのではないかと思う。実際のところたとえば、純粋なミステリではないけれどフランシス・アイルズの『レディに捧げる殺人物語』(『犯行以前』)なんかは、作中の事実の「客観的な裏付けを行わない」ことで独特のスリルを生み出していく書法が印象的だった。

2002-02-09

M・ナイト・シャマランの新作

『シックス・センス』に続く『アンブレイカブル』で、我々バカミス愛好者を狂喜させてくれたM・ナイト・シャマラン監督の次回作は "Signs" 。今度はメル・ギブソン主演で、そこらの畑にいわゆる「ミステリー・サークル」を見つけてしまう話らしい。予告編から相当飛ばしているようなので、今回はまたどんな驚異(電波とも言う)を仕込んでくれているんだろうか……と、個人的にはかなり楽しみだ。

2002-02-10

『ベビーシッター・アドベンチャー』

Adventures in Babysitting(1987)
★★★

現在『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)が絶賛公開中、のクリス・コロンバス監督の第一作(それ以前は脚本専業らしい)。本作の成功のあと『ホーム・アローン』(1990)に抜擢されたという作品で、同じような「留守番が冒険になる」構想で話が進められる。

前半の「次々と変な場所へ連れて行かれる」展開は先読みできずスリリングなのだけど、後半は単なる追いかけっこの話になってしまうので、ちょっと物足りない。途中の「車工場から脱走→ブルースを唄う」に匹敵する名場面が、終盤でも何かもういちどあれば良かったんだけどな。それを除けば、ファミリー映画として良くまとまっている作品だとは思った。「漫画おたく」の変な子供の役柄を、男ではなく女の子に振っているのもおもしろい。

若かりし頃のエリザベス・シューが、ほとんど完璧な「アメリカの健康的な美少女」を演じている。この役まわりはたとえば『ミリイ/少年は空を飛んだ』(1986)のルーシー・ディーキンズに近いだろうか(製作年度も近いはず)。個人的には、エリザベス・シューの場合その後の出演作品を知っているだけに、「この娘がやがてバーテンのトム・クルーズと絡んで、あげくの果てにはラス・ヴェガスで汚れた売春婦を……」などと邪念を抱いてしまい、それを考えると、主演の女の子がいま何をしているのかわからない『ミリイ』は素直に観られて良かったなと思ったりする。と、これはむろん現在の視点から見た、まったくの言いがかりにすぎないのだけれど。

2002-02-11

『探偵スルース』

Sleuth(1972)
★★★

探偵小説作家のローレンス・オリヴィエと若い美容師のマイケル・ケインが熾烈な演技合戦を繰り広げる演劇映画。ミステリ読みにはやたら人気のあるらしい作品で、特にマイケル・ケインは最高!と思わせる存在感だった。英国屋敷の人工的な舞台設定や自動人形などの小道具も味があって良い。

ただし元が舞台劇の脚本のようで、舞台劇を映画化したときに出がちな演出のくどさ、重さは解消しきれていなかったように感じる(その種の悪い例の典型だと思うのが『12人の優しい日本人』。本作はあれとくらべるとさほどまずい出来ではないけれど)。全体の時間ももうちょっと短いほうが軽妙で良かったのではないかと思う。

製作時期の近い『スティング』(1973)とは、失われた時代を回顧する雰囲気、ミステリ的な仕掛けの使いかたなどが結構共通している。ただ米国映画の『スティング』がノスタルジーをわりと楽天的に肯定していたのとくらべると、本作はやはり英国らしい皮肉の利いた話になっている。そのあたりの意味で対照的な二作といえるかもしれない。

2002-02-12

『スローターハウス5』

Slaughterhouse-Five(1972)
★★★★

ジョージ・ロイ・ヒル監督の、『明日に向って撃て!』(1969)と『スティング』(1973)の間の作品。カート・ヴォネガットJr.の原作をかなり忠実に映像化していて、時間と空間がぽんぽん飛びまくる実験的な構成になっている(なので、ついて行けない観客が多数いたのではと思われる)。この1970年前後の時期はヴェトナム反戦運動の気運を反映してか、『M★A★S★H』(1970)、『キャッチ22』(1971)など、諧謔味のある戦争ものが集中的に撮られているようで、これもその流れを受けて製作されたものなのだろう。(『まぼろしの市街戦』(1967)なんかも、この系譜に通じるだろうか)

個人的には、この映画版のほうがヴォネガットの原作よりも好き。というのは、おおむね以下のような理由による。

  • 原作の特徴だった「そういうものだ。」の連発がない。(真似されすぎたせいもあるだろうけど、正直なところ、これがなければもっと素直に読めるだろうにと感じたものだった)
  • 「時間の飛躍」はたぶん映画のほうが追体験しやすい。(小説は結局、映画のように「時間」そのものを共有させることはできないから)
  • グレン・グールドのピアノ曲のかぶさる孤独な場面が哀切で良かった。

これはもともと、戦争体験を語ろうとしたものの結局まともに発話することなんてできなかった、という話だったはずなので、それは当事者で完結するよりも、第三者の「映像化」などを介した構造のほうが巧く伝わりやすいものなのかもしれない(それにしても、不謹慎ながら「ドレスデン空爆」というのが題材として絶妙だよなと思ってしまう。「正義」の矛盾)。ただし予算が足りないせいか、とても張り詰めた美しい場面と、ほとんどはりぼてのような映像的に隙の多い場面(飛行機墜落の箇所など)とが混じっているのはちょっと残念。

全体的には、結果としてタルコフスキーの映画の雰囲気に近くなっているように感じた。実際、異星で美女と出会うのは『惑星ソラリス』(1972)と同様だし(本作と同年にカンヌ映画祭の賞を受けている)、そのあとの『鏡』(1975)はこの『スローターハウス5』に似ていなくもない、戦時の記憶が挿入されて時空を飛びまくる構成の映画だった。

2002-02-15

『ピアニスト』

La Pianiste(2001)
★★

ミヒャエル・ハネケ監督作品。謹厳な風貌のピアノ教師が実は性的妄想を持て余していて、美青年に言い寄られたことから破滅する、というような話。部分的に目新しい場面もあったけれど(ポルノ映画館のくだりなど)、全体的にはこの種の話の類型に終始した感じだった。最近どうも、ヒロインの精神的な「痛さ」をひたすら強調すれば上等の映画になると考えているようなふしのある作品が多くて、しかもそれらの評判が結構良かったりするので(『ゴーストワールド』『レクイエム・フォー・ドリーム』など)、個人的にはちょっとうんざりしてしまう。これをやるなら、『ハピネス』のように群像劇の一部として扱うか、ラース・フォン・トリアー監督作みたいな「寓話」にしてしまうか、いずれにせよ何か別の突き放すような視線が入らないときついのではないかと思う。

あえて主題を探すとすれば、「性欲は相手の都合に構わず、勝手に燃えあがる」ということだろうか。

2002-02-16

『マルホランド・ドライブ』

Mulholland Dr. (2001)
★★★

デヴィッド・リンチ監督の新作。『ブルー・ベルベット』(1986)や『ロスト・ハイウェイ』(1997)路線のアンチ・ミステリーもの。

『ブルー・ベルベット』が好きなので結構期待していたのだけど、ちょっと未完成な出来じゃないかと思った。細かく言えば、前半★★★★、後半★★、というくらいの感想。もともとこれはTVドラマのパイロット版として撮影された映像なのだそうで、結局その企画が流れてしまいお蔵入りになっていたものの、あとから後半の場面を追加撮影して一作の映画に仕上げた、という紆余曲折を経て製作されたものらしい。そのせいなのか、終盤に入ってからの話の壊しかたがいかにもとってつけたような性急さで、着想としてもさほど新味を感じられなかった(過去作品の自己模倣のようにも思える)。もちろんリンチの映画に「構成が破綻している」とか「謎が解かれていない」といった種類の文句をつけるつもりはないのだけれど。

ただ、前半は例によって奇怪な人物が続々と登場して、ずれた会話が交わされる世界観を愉しめるし、「新人女優」役のナオミ・ワッツ(綺麗で好感)のどこかそらぞらしい快活さが、リンチ的世界の異分子であり入門者みたいな役割を担っているのもおもしろかった。

2002-02-17

『ボギー! 俺も男だ』

Play It Again, Sam(1972)
★★★★

ウディ・アレン主演・脚本の『カサブランカ』パロディ映画。よくできた佳作で、最後が決まっているぶん、『アニー・ホール』より良いかもしれない。ウディ・アレンが映画の中のハンフリー・ボガートに憧れて真似をしようとする話で、アレンの演じる主人公の風貌は当然「貧相な眼鏡」だから、彼の顔が出てきただけで笑えるという、いわゆる「出オチ」の格好になっている。彼自身の監督作だったら、さすがにここまでは開き直りにくいのではないかなと思った。(監督はハーバート・ロス)

ちなみにミステリ的な文脈でいえば、へたれな人物が物語の中の私立探偵のつもりになる、というパロディ調の「勘違い探偵」ものと同型の話といえる。

2002-02-18

『フェリーニの8 1/2』

Otto E Mezzo(1963)
★★★

いまさら初見。言わずと知れたフェデリコ・フェリーニ監督作品。次作の構想が浮かばない映画監督が煮詰まって辺りをふらふらする話。

感想はこんなかんじ。

  • 結局「離婚の危機」の話だったような気もする。
  • これが異色作と呼ばれるのならわかるのだけど、「代表作」とか「名作」と賞賛されているようなのはどうなんだろう。
  • いわば「私映画」なので、最初に観るべき作品ではなさそう。『甘い生活』あたりから観れば良かったのかな。

個人的には、この種の「映画についての映画」をあまりおもしろいと思ったためしがない(他には『サリヴァンの旅』とか)。要するに、映画そのものにはさほど思い入れがないからだろうか。

2002-02-19

『ハンドフル・オブ・ダスト』

A Handful of Dust(1988)
★★★

英国の映画。原作はイヴリン・ウォーの小説『一握の塵』(原題は同じ。未読)で、1930年前後の英国の上流階級の生活を皮肉って描いたような話。前半は妻の不倫の話をたらたらと進め、後半は唐突にアマゾン探検の話になっていく、というかなり奇怪な展開なのだけど、登場人物をただ行き当たりばったりに悪いほうへと導いているだけのような気がして、どうもあまり乗りきれなかった。原作の細部の皮肉だとかを巧く活しきれていないのかもしれない。

英国の領主階級の生活が映像的に再現されていて、そのあたりは興味深かった。「美人の妻」役のクリスティン・スコット・トーマスはなかなか綺麗。(最近ではロバート・アルトマンの新作 "Gosford Park" に出演しているようだ。これも時代背景が同じくらい)

2002-02-20

『エイミー』

Amy(1998)
★★★

ナディア・タス監督のオーストラリア映画。ささやかな母子家庭の人情ドラマの枠組みに、非日常的でファンタジックな要素を織りまぜる趣向の話で、例を挙げるなら『ミリィ/少年は空を飛んだ』『シックス・センス』などに通じるものがあるだろうか。

優れたところと駄目なところがはっきりしていて、ちょっと評価に困ってしまう作品だった。少なくとも、全体を通じて気持ちよく観られ、また興味の持続する映画なのは確かなのだけど。

構想がかなり風変わりでおもしろい。歌を通じてしか会話できない少女、という思いきりありえない設定の人物が主人公で、周囲の人たちはこの少女と意思の疎通をするために、ミュージカル的な作法をとって唄わねばならないことになる。近所の人たちが次々とこのミュージカル文法に巻き込まれていく展開が素敵で、これは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とはまた別の意味で「必然性のあるミュージカル映画」を追究した実験作といえるかもしれない。

主役の少女、アラーナ・ディ・ローマは歌が巧くて良い。母親役のレイチェル・グリフィスもやけに色っぽくて魅力的。映像もなかなか綺麗で、とりわけ暖色系の室内場面と夜の野外の場面との両方を美しく撮影できているのは、それなりの賞賛に値するのではないだろうか。

で、まずいところは明らかに脚本。「過去のトラウマ」の設定はえらく陳腐で無理を感じるし、その回想の挿入のしかたも安易。他にもほころびが目立った。「脚本」でクレジットされているデヴィッド・パーカーという人は本作の撮影監督も担当していて、同じ監督の『ピュア・ラック』(1991)でも撮影監督を務めている。要するに脚本が本業の人ではないようで、そこが弱かったということだろうか。前述したように撮影面では良い仕事をしていると思えるだけに、惜しいなと思うところ。

2002-02-21

ニュースサイトごっこ

たまには悪くないかな、と。

▽ウェブ上で日記を公開する『ウェブログ』の可能性(上)(下)(HotWired Japan)

「うんざりさせられるのは、『今日はチーズサンドを食べた』などといったことを書くウェブログだ。ろくでもないウェブログで、いちばんよく見るタイプだ。たまらないね」

「ウェブログ」は日本で言う「日記サイト」とか「テキストサイト」ですかね。当サイトもそれらに含まれるんだろうけど。海の向こうでもそんなに事情は変わらないみたいで、結局「スタージョンの法則」が出てくるのか……

▽“芸能界の宗男”坂田利夫、たけしからお墨付き(サンケイスポーツ)

「『鈴木宗男でございます』とあいさつするとお客さんの拍手がスゴイ。つかみが楽になったわー」と笑いが止まらない様子。

▽滝本誠、リンチの新作を語る(?)

滝本 あとは加護ちゃんね。
松久 加護ちゃんってミニモニの?
滝本 彼女はノワールだしファム・ファタルよ。リンチだよ、もう存在そのものが。

滝本誠は余裕で「辻と加護」の見分けがつくらしい。(追記:ちなみに僕は識別できません。というより個体として興味がないので名前を憶えていない)

▽デヴィッド・リンチ、『マルホランド・ドライブ』を語る(eiga.com)

リンチのとぼけた感じが出ていておもしろい内容。『ロスト・ハイウェイ』の解説も楽しい。

2002-02-22

『少年トレチア』

津原泰水/講談社(2002.1)[amazon] [bk1]
★★★

津原泰水の新作。宮部みゆきの『理由』みたいな集合住宅を舞台に(ノンフィクション風の記事も挿入される)、牧野修『MOUSE』や中井拓志『quarter mo@n』のような都市伝説風の「恐るべき子供たち」の物語を展開したような筋書き。団地を中心にした群像劇という意味では、ジャン・ヴォートランの『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』あたりを思い出さないでもない。

今回の叙述は『蘆屋家の崩壊』『ペニス』のような歪んだ一人称語りではなく、原則的には三人称叙述の群像劇的な書法になっていて、この作者の既刊作でいえば『妖都』に近いかもしれない。病的な登場人物たちの描写だとかはあいかわらず独特の魅力があるけれど、どうもこの三人称叙述と群像劇構成があまり巧く行っていない気がしてならなかった。視点が自在なわりに「自分の周りのこと」しか書かれないので世界が狭いままのように感じられるし、「記憶の捏造」などの主観の歪みにもあっさりと説明の言葉が入ってしまい、物語世界にはさほど揺らぎが生じない。複数の人物が交錯する筋さばきの興趣なども特に感じられなかった。

作家がつねに似たような趣向の話を書かねばならないとは思わないけれど、少なくとも『ペニス』ほどの異様な緊張感は感じられない出来だった。

2002-02-23

『バーナム博物館』

スティーヴン・ミルハウザー/柴田元幸訳/福武書店
The Barnum Museum - by Steven Millhauser(1990)
★★★★

ミルハウザーの短編集。第一長編『エドウィン・マルハウス』もそうだったけれど、ミルハウザーの作品はそのほとんどが、作者の小説論、創作論として読むことのできる内容になっている。虚構の世界への執着を前面に押し出したこの作品集では、その傾向が如実にあらわれていて、特に表題作の「バーナム博物館」などは、作中の「博物館」という言葉をすべて「小説」ないし「物語」に置き換えたとしても、たぶん意味が通るのではないかとさえ思える。

ただしそれらの要素が一貫した物語として昇華されている作品はさほど多くないような気がして、その意味で普通に興味深く読めたのは「ロバート・ヘレンディーンの発明」と「幻術師、アイゼンハイム」だろうか(どちらも架空の人物名を題名に冠していて、つまり『エドウィン・マルハウス』的な創作といえる)。特に前者は主人公の人物像が『エドウィン・マルハウス』のひねくれた語り手に似ていて楽しく、終幕の展開は訳者の解説にもあるようにエドガー・アラン・ポーの某作への敬意を感じさせる。

そのあたりを考えると、訳されているのが短編ばかりで、"Portrait of a Romantic"(1977)、"From The Realm of Morpheus"(1986) などの長編が未訳のままなのは気になるところ。

2002-02-24

『ロード・オブ・ザ・リング』

The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring(2001)
★★★

先行ロードショーにて鑑賞。

実を言えば原作のトールキン『指輪物語』は未読(『ホビットの冒険』は読んだ記憶があるのだけれど……)。その前提のうえで書くと、これは良くも悪くも「ゲーム少年の聖典」としての映画化なのだろうなと感じた。仲間たちが第一にその戦闘能力や得意武器で認識される、父親から主人公へ贈られる餞別が「武器と防具」である、戦闘で仲間が犠牲になって感動的な音楽が流れる、など全編を通じて、TVゲームのファンタジーRPGの文法を踏みながら話が進められる。『スター・ウォーズ』や『ドラゴンクエスト』などの源流はこの原作にあるのねと再認識させられた(特に「父と息子」の構図が近接)。宮崎駿への影響の濃さなども確認できる。劇場で入場券とともに渡された、登場人物一覧や世界地図を記した紙は、ゲームソフトの箱に入っている説明書に似ていると思った。

このため戦闘場面が満載なのだけど(ただし監督がホラー出身のせいか、ゾンビ映画風の「理由なく襲撃される戦闘」色が強い)、背景事情の説明がだいぶ端折られているようで、話をいまひとつ呑み込めなかった。どうしてこの主人公が特別に指輪を運ぶ旅に出なければならないのか、物語の端緒がはっきりと見えてこないし、戦闘場面がどれも漫然と襲われているだけみたいで、背後の因果関係や戦略的な位置付けが良くわからない。個人的には、とりあえず『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』世代の端くれではあるので、それらの原点探しの意味でもそれなりに愉しめたけれど、RPGに燃えた体験のない人には興味の薄い映画かもしれない。

ニュージーランドで撮影したらしい風景が綺麗。CGのスペクタクル的な魅力が前面に出ている映画なので、関心のある人は劇場で観ておいたほうがいいでしょう。

ブッシュ、それともチンパンジー?

念の入ったお笑いにちょっと感動。猿好きなら必見。このためにドメイン名を取得しているとは……。

2002-02-25

『殺しの分け前/ポイント・ブランク』

Point Blank(1967)
★★★★

NHK-BSで先日放映していたのをビデオ視聴。

ジョン・ブアマン監督のハードボイルド/スリラー映画。リチャード・スタークの『悪党パーカー/人狩り』の映画化で、いかにも1960年代後半らしいサイケ調の映像と、説明を省いて場面をつなぐ構成が格好良い。思わず「おお」と感心してしまった場面もいくつかあり、これは原作より良いんじゃないかと思った。カラー以降のフィルム・ノワール、というような文脈でよく題名を挙げられる作品なのも納得。

映像化されて気がついたのだけど(ただし原作の筋書きをきちんと憶えていないので、ある程度改変されているかもしれない)、これは「天然」系タフガイの介入が結果的に組織の内紛を誘発する、という『赤い収獲』的な構造の話になっている。スターク=ウェストレイクといえば、もともとダシール・ハメットのファンライター的な印象のある人だから、これはこれで正しいのだろうな。コーエン兄弟の『ミラーズ・クロッシング』を観たときにも感じたことだけれど、この種の「何を考えているのかわからない」主人公の描写、内面描写を排して「行動」だけを描写する手法は、まさに映画の得意技ではないかと思う。

主人公の「ウォーカー」役は白髪のリー・マーヴィンで、これは原作の猪突マッチョ臭を和らげる狙いがあったのだろうか(『ペイバック』のメル・ギブソンのほうが原作の「パーカー」像には近い)。脇の女優も良く、主人公を助けるアンジー・ディキンソンもさることながら、「裏切った妻」役のシャロン・アッカーが綺麗(序盤で退場してしまうのが惜しい)。リー・マーヴィンは女性たちと親子のような年齢差があるように見えて違和感をおぼえるのだけど、映画内でそれは「なかったこと」にされているようだ。スティーヴン・ソダーバーグ監督の『イギリスから来た男』(たぶん本作の設定を参照している)で初老のテレンス・スタンプがしきりに「年寄りの冷や水」的な突っ込みを入れられるのとは対照的な態度といえるかもしれない。

2002-02-26

『シェーラザード/新・千夜一夜物語』

Sheherazade(1990)
★★★★

フィリップ・ド・ブロカ監督&脚本作品。「アラビアン・ナイト」の世界を入れ子構造にした、パロディ調のナンセンス・コメディ。『まぼろしの市街戦』(1967)や『陽だまりの庭で』(1995)とくらべるとだいぶ肩の力を抜いた路線だけれど、あれらの一見シリアスな題材の映画も、この映画のような人を食った軽やかさが随所で発揮されているのが大きな魅力になっていた。劇中で主人公が「人生はジョークよ」というような台詞を口にするのが、この監督の思想を代弁しているようにも思える。

「アラビアン・ナイト」の世界から現代へ飛ばされた人物が、現代文明の利器で主人を助けるという逆「ドラえもん」的な構図が基本路線。先に挙げた『まぼろしの市街戦』と『陽だまりの庭で』もそうだったけれど、この監督の映画にはたいてい、ファンタジックな「虚構の世界」が現実とすり替わる、というメタフィクション的な視座を感じられるのが興味深い。

主演のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ(これがデビュー作らしい)は、あのちょっと記号的な「ゴージャス」感が、物語内の「架空の美女」という実在感のない設定に巧くはまって良い感じ。個人的には、はじめてこの人を良いと思った。

2002-02-27

『閉鎖病棟』

パトリック・マグラア/池央耿訳/河出書房新社[amazon] [bk1]
Asylum - by Patrick McGrath(1996)
★★★★

英国の精神病院を舞台に、副院長の美しい妻と入院患者の道ならぬ恋の末路を描く物語。というとまるでロマンス小説のようだけれど、同じ作者の『グロテスク』もそうだったように、これまた語り手がやたらうさんくさい叙述を繰り広げるひねくれた小説だった。自分が居合わせてもいない場面をさも見てきたかのように語り、他人の心理までももっともらしく述べあげる(たとえばダン・ゴードンの『死んだふり』に近い)。語り手の職業が精神科医で、作中の複数人物が彼の患者になっている、という設定である程度の説明はついているのだけれど、やはりそれ以上の明らかに「知りえない」情報がまぎれこんでいるため、語りの構造が意図的に歪められている印象を受ける。

この語り手の底意が見えそうで見えないまま話が進んでいくのがおもしろく、いつこの人物に突っ込みが入るのだろうか、という興味が静かなスリルを生んでいた。「倒叙」的な構成を採っていることもあり、筋書きに意外な展開はほとんど見られないものの、そのあたりのひそやかににじみ出る邪悪さが好ましい。

作者パトリック・マグラアの長編は、現在のところ『グロテスク』とこの『閉鎖病棟』しか翻訳されておらず(あとは短編集の『血のささやき、水のつぶやき』など)、紹介は途絶えているようだ。英国風のひねくれた叙述が特徴で、とても一般受けはしそうもない作家だけれど、個人的にはもうちょっと読んでみたいなと思う。ちなみに、どうも "Spider" という作品が良さそうなのだけど。

2002-02-28

恩田陸と少女漫画

読冊日記(2002/02/27)の「正直いって、恩田陸とは相性がよくない」との記述は同感。個人的には、似たような感想の人を見つけて安心した。

ちなみに、僕がこれまでに読んだ恩田陸作品は『六番目の小夜子』と『不安な童話』。どちらも「学園祭」「転生」などの少女漫画的な道具立てをならべてみました、といった感じの小説で、思考基盤を共有していない読者にはどうもぴんとこない内容だった。(つまり最近の作品は読んでいないので、状況が変わっているのかどうかは知らない)

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