▼ 2001.06



2001-06-01

『シンシナティ・キッド』

リチャード・ジェザップ/真崎義博訳/扶桑社ミステリー文庫[amazon] [bk1]
The Cincinati Kid by Richard Jessup, 1963
★★★

非常にストイックなギャンブラー小説の佳作。ただ主人公の恋人の扱いも含めてこちらの予想を裏切るような展開はなく、それ以上の突出したものは感じなかった。ヘミングウェイ流の「感情を排した」文筆が真剣勝負のポーカーの世界に良く合っている、という解説の矢口誠の指摘は妥当だろうと思うけれども。

『かめくん』

北野勇作/徳間デュアル文庫[amazon] [bk1]
★★★

亀型ロボット「かめくん」の日常をつづったSF風小説。大筋はロバート・A・ハインラインの『異星の客』に似ているかもしれない。本人は別にほのぼのしているつもりはないのに、周りが勝手になごんでいるようなところも。

ばらまかれるSF的な意匠はどれも深く追究されないまま、「かめくん」の淡々とした日常のなかでかえりみられない断片として放置される。そのあたりの「つっこみ役」の不在による読者の介入の余地を愉しむ小説なのだろうけれど、どうもネタの羅列が(「エヴァンゲリオン」や「ASAYAN」なんかの露骨なパロディが混じっていたりもして)結局のところ「これ知ってるよね」的な読者への目配せに終始しているように思えてしまい、あまり感心しなかった。

2001-06-02

『日の名残り』

カズオ・イシグロ/土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫[amazon] [bk1]
The Remains of the Day by Kazuo Ishiguro, 1989
★★★★★

「あんたみたいな執事は、いまのイギリスにはもう珍しいんじゃないですか?」(p.172)

カズオ・イシグロのブッカー賞受賞作。中公文庫版で読んだ。

初老の執事が過ぎた日々を振り返りながら短い旅をする。という、どう考えても盛り上がりそうもない地味な筋書きの話なのだけれど、洗練された書法で出来の良い小説だった。ただ良くも悪くも、身を削って本気で書いた小説ではなさそうだなとは思うけれど。

結局のところ小説というのは、1.登場人物の視点に感情移入して読む、2.登場人物を突き放して作者の意図や構成を読む、というふたつの段階をある程度並行しながら読んでいくものだろうけれども、本書はこれら両者のバランスがとてもよくとれている。「執事」の一人称語りは、みずからを客観視しきれていないうさんくさい叙述になっており、いわゆる「信頼できない語り手」の領域に足を踏み込んでいる。すばらしい執事とは何かについて彼が熱心に語ったり、冗談をうまく返せなくてまじめに思い悩む箇所なんかは、ほとんどパロディ小説のようなおかしさがある。かといって作者の態度は、執事がみずからの職業に抱く誇りをいたずらに嘲笑しているわけでもない。題名を反映した終盤の展開はしみじみと感動的でさえある。このカズオ・イシグロ自身はもちろん日系人なのだけれど、英国の作家というのは伝統的にこのあたりの案配が特に巧いような気がする。それはたとえば一般的には「現代的」「ポップ」などと評されるだろうニック・ホーンビイやアーヴィン・ウェルシュの小説などにも感じるところだ。

「公/私」を対比させる構図も巧い。執事が体現するのは英国の喪われた栄光と「品格」であり(彼の新たな主人は米国人だ)、彼個人はかつて女中頭とのロマンスの機会を逸してしまったのを心残りに思っている。そして彼の敬愛した主人の英国貴族は、ナチス・ドイツに対する英国政府の「宥和政策」に加担したとして糾弾されたらしいことが示唆される。私的な問題から国家の大事に至るまで、誰にでもそんな失敗や喪失の体験はあるだろうと思う。本書はゆったりとそんな追憶に浸ってみせるけれど、しかし結局過去は決して取り戻せず、前を向いて生きるしかない。

土屋政雄の訳文はすばらしい。「執事の語り」なんて日本語に存在しないものを、たしかにこんな調子だろうなと思わされてしまう見事な翻訳で、おそらく「ですます調翻訳」や「特殊職業の語り手翻訳」のひとつのお手本といえるのではないだろうか。

2001-06-03

『わたしたちが孤児だったころ』

カズオ・イシグロ/入江真佐子訳/早川書房[amazon] [bk1]
When We Were Orphans by Kazuo Ishiguro, 2000
★★★

カズオ・イシグロ(『日の名残り』)の新作。幼少期を上海の租界で過ごした英国人の探偵が、かつて謎の失踪を遂げた両親の行方を探すため、日中戦争勃発後の不穏な上海へ舞い戻る。

シャーロック・ホームズに憧れて有名な私立探偵になった、という主人公の冗談めいた設定だとか(虫眼鏡がトレードマークだったりする)、その探偵がみずからの個人的な事件に深入りしていく、なんかの点はそれなりに興味を惹かれたけれども、へたにミステリ風の構成を組み込んでいるせいで正直なところ脇の甘さが目立つ。特に中盤以降の出来事は唐突で安易な偶然の連発で、いかにも行きあたりばったりの筋運びが続く。明かされる真相も、それなりに深刻ではあるのだろうけど絵空事めいているし、結局ひとりの人物がすべてを語ってくれるのならあまり探索の意味がない。結果的にトマス・H・クックの「悔悟もの」みたいな格好になってはいるのだけれども。

『日の名残り』とは以下のような物語の流れが共通している。

  • 語り手が特殊な職業に就いている。(執事と探偵)
  • 失われた過去の時代や人間関係を懐かしむ。
  • それを取り戻すための旅に出る。
  • 語り手が思い込みにもとづいて行動する。

過去はやはり取り戻せず、喪失感を漂わせながらいちおう前向きな結論で終わるのも『日の名残り』と似ている。ほかの作品はまだ読んでいないから断言はできないけれど、だいたいこういう作風の人なんだろう。

それからこの作家に関しては、「信頼できない語り手」の扱いが独特の作風としてよく挙げられるようで、たしかにそのあたりの叙述のひねりはくせがある。ただし個人的には、一人称小説をやる以上、主観的な「語り手の認識」と世界とのあいだに少なからずずれが生じるのはあたりまえのことだし、逆にそうでないと小説としておもしろくならないのではないかと考えている。だからこの作家が必ずしもその点で特別だとは思わない。

主人公の上海時代の幼なじみで長崎出身の日本人が出てくるけれど、作者カズオ・イシグロも長崎生まれの日系人。主人公も上海育ちの英国人で、これらの人物設定に作家の(西洋と東洋のはざまにいるような)個人史を重ね合わせるのは決して読みすぎではないだろう。

2001-06-04

『模倣犯』

宮部みゆき/小学館(上下)
★★

この作家の本を読むのは久しぶり。『理由』以来だろうか。個人的にこの人の「社会派」ものには世評ほど感心しておらず、人気のあるらしい『火車』はどこが良いのかよくわからなかったし、直木賞の『理由』も主軸の事件はそれなりに興味深いにしてもあまりに無駄な横道が多い。超能力人情ものの『龍は眠る』あたりのほうが断然いいと思うのだけれど。

劇場型犯罪を扱ったこの『模倣犯』もえらく冗漫な文筆で、読みとおすのがきつかった。申し訳ないけれど後半は飛ばし読み。『火車』の頃から指摘されていた「冗長」「無駄が多い」といった難点が、そろそろ致命的にまずい段階にまで悪化している。もとが雑誌の連載小説という事情はあるにしても、充分加筆修正の手間はかけたようだし、あまりその点を斟酌する気にはなれない。売れっ子作家になりすぎたせいで、誰も助言する人がいなくなってしまったんだろうか、なんて勘ぐりたくなってしまうところだ。

次のような点がとても気になった。

  • 叙述視点の転換と時系列の操作が空回りしている。とうに結論の明らかな文章を、だらだらと読まされることが何度あっただろうか。
  • たまに織りまぜられる比喩のセンスがどれも最悪に近い。
  • 登場人物の心情を、語り手や他の人物が代弁しすぎ。

総じて、下町人情風の観点から空虚な現代人を指弾する、というようなこの作者のいつものながらの「庶民的」な態度が、批判されない安全地帯からものを言っているだけの鈍感な押しつけがましさにしか感じられなくなってしまっている。これまでの作品でそのあたりがさほど嫌味になっていなかったのは、物語を「純真な少年」の視点に託していることが多かったからかもしれない。

偏見を承知であえていうなら、感情的な言葉を漫然と連ねるのは得意だけれど、それをきっちりと構成してまとめるのは不得手、という女性作家にありがちな弱点を露呈している典型じゃないだろうか。

2001-06-08

『Rの家』

打海文三/マガジンハウス[amazon] [bk1]
★★★

昨日は雅彦さんの手記の、色で個体を識別するやりかたについて話した。あれはタランティーノの『レザボア・ドッグス』のパクリじゃないのか、とぼくは言った。李花は同意したうえで、でもタランティーノはオースターの『幽霊たち』をパクってる、と言った。(p.212)

しょっぱなからむせかえるような青くさい文体。高校生の男子が、風俗嬢をしている年上の従姉と「世界は解読されているんだ」などと悟りきったような会話を交わす。僕は比較的これらの系統に寛大なほうなのでいちおう読めたけれど、平均的な反応としては、恥ずかしいと感じる人がおそらく多数じゃないかと思う。まあもともと高校生の一人称小説なのだから、その恥ずかしさも巧く再現されているとはいえるのかもしれないけれど。

ポール・オースターからの引用も明示されているけれど、本作を読んだかぎりでは、村上春樹の影響を感じさせるミステリ系作家という文脈におさまるのかなと思った。他に似たような系統で思いつく作家といえば、本多孝好(『MISSING』『ALONE TOGETHER』)、それに法月綸太郎(『密閉教室』『パズル崩壊』)、あとはやや外れるかもしれないけれど藤原伊織、といったところだろうか。

作中で交わされる売春の是非をめぐる議論は、もしかすると宮台真司や上野千鶴子らの一時流行した論議を踏まえて書かれたものかもしれない。

2001-06-09

鉄の門

マーガレット・ミラーを特集している書評サイト。以前から知っていたのだけれど、久しぶりに見たら結構更新されていたので紹介しておきます(未訳作品の記事もある)。親サイトではゲイ関連の話題を扱っているみたい。

ミラーの記事が充実しているだけでなく、パトリシア・ハイスミスやジム・トンプスンなんかも視野に入っているようで、興味の方向にわりと共感をおぼえる。ミラー作品のなかで『狙った獣』と『まるで天使のような』を特に絶賛しているのは同感。ついでにハイスミスの作品集『世界の終わりの物語』で「自由万歳! ホワイトハウスでピクニック」を気に入っているのも。

難点は無料サーバの広告窓が出るのと、デザインが妙に凝っていて見づらいことかな。

2001-06-12

リンクについてのアンケート

Books by 麻弥で、リンクについてのアンケート結果が発表されている。

コメントをざっと眺めてみたかぎりでは、「リンク連絡は当然の礼儀」とまじめに断言している人は結構いるんだなと思った。

リンク許諾制や要連絡を唱える意見に関しては、閲覧を開放しているにもかかわらず参照言及には制約をかける、という議論の根拠がよくわからない。知らないところで批判的に言及されるのがいやなのかもしれないけど、そもそも公開した以上は誰かに何らかの感想を持たれるのは必然なわけで、それが表に出るかどうかの違いだけじゃないだろうか。

参照元の提示という以上の意味づけをリンクに感じるのは各人の勝手だけれど、少なくともよそからのリンクに対して何らかの制約を主張するのは、他人のサイト運営に口をはさんで自分の都合を押しつけていることになるのではないか、ということは認識されていいように思う。まあ結局、リンクを制限しているようなところで、あえて紹介したくなる興味深い記事を発見しそうにも思えないから、実際的な意味ではさほど問題は生じないような気もするのだけれど。

2001-06-14

『ガラスの鍵』

ダシール・ハメット/小鷹信光訳/ハヤカワ文庫HM
The Glass Key by Dashiel Hammett, 1931
★★★★

ダシール・ハメットの代表作のひとつで、いわゆるハードボイルドの古典的作品。人物の感情描写を排除した三人称客観叙述を徹底させた実験作になっている。登場人物の内面が全然明かされないため、読者は描写される微妙なしぐさや口調から彼らの思考や感情を読みとらねばならない。そのための手がかりも意図的に散りばめられているようだけれど、はっきり言ってこれはよほど精密に読まなければよくわからないのじゃないかと思う。僕もあんまりわかりませんでした。そういった意味で、実験的な書法の達成が果たして物語的な効果をあげているといえるのかどうかは微妙なところかもしれない。

筋立ては案外まっとうな謎解きものに近く、主人公の賭博師ネド・ボーモンはそれなりにきちんと推理をして殺人事件を解明している(そういえば『赤い収穫』の探偵もあれだけ町を騒乱の渦に巻き込みながら、いちおう殺人事件を解決していたような憶えがあるのだけど)。この作品を探偵小説として読んだときに特徴的なのが、人物の内面がほとんど割られず当然ワトソン的な解説役なんてのもいないため、殺人事件の真相だけでなく主人公の探索行動そのものが読者にとってのなかば「謎」になっていくことだろう。こういった書法は以降のレイモンド・チャンドラーやロス・マクドナルドなどの私立探偵小説でもそれなりに踏襲されている(こともある)ような気がする。

それにしても、男同士の信頼関係は女の介入により崩れていくわけで、結局作者にとって「災厄の元は女」ということなのだろうな。

ちなみにコーエン兄弟の傑作フィルム・ノワール『ミラーズ・クロッシング』は、明らかにこの小説の筋書きを下敷きにしている(あとは『赤い収穫』も混ざっているかな)。舞台背景・人物配置はもちろん、帽子が小道具になっているところなんかも同じ。主人公が何を考えているのか描写されない醒めた撮りかたも、この『ガラスの鍵』のハードボイルド客観叙述を映像的に体現しているように思える。まあ、ハメットの影響を感じさせる小説・映画を挙げていったら数かぎりないかもしれず、それが古典というものだろうけど。

2001-06-15

bk1ブリーダープログラム

すでに察知済みの人もいるだろうけど、このサイトはオンライン書店bk1の提携システムに加入している。書籍情報についている【bk1】のリンク、もしくはトップページの下方にある検索窓を通って本を購入すると、僕のもとに少しだけポイントが入るようになっているはず。いまのところこれ以上のことをやるつもりはないです。実は、本の話題を扱うサイトを公開していながらこんなことを書くのもなんだけど、どうも「書籍の購入」そのものにはあまり興味が湧いてこないたちなので。

bk1はそれなりに利用しているけど、たぶんこれまでに買った分の半分以上はbk1ポイントでの購入(つまり無料)だったような気がする。というか、あんなにただで購入できてしまうのでは、経営的にだいじょうぶなんだろうか。

2001-06-16

★NBAファイナル第5戦

やっと生放送で観られたのだけど(なにしろ日本では午前10時からの時間帯になるので)、シリーズはこれで終了。結局のところ76ersは第1戦で燃え尽きたというかんじだろうか。あれが文句なしでいちばん盛り上がった試合だった。

ちなみに、プレイオフを通じていちばん単純におもしろかった対戦は、東地区の二回戦、76ers×ラプターズだと思う。特にシーズンMVP受賞試合でのアレン・アイヴァーソンのunstoppableぶりはすさまじいものがあった。

優勝したレイカーズは昨季のほうが強かったと感じている人もいるみたいだけど、プレイオフの戦績にしてもこのシリーズの戦いぶりにしても、今年の戦力のほうが充実しているようだ。とりわけリック・フォックスのスタート起用とデレク・フィッシャーの成長で、コービー・ブライアントと組むアウトサイドのディフェンスが強化されているのが大きい。そこで相手を消耗させて、思いどおりの試合運びを許さないような展開に持ち込むことができる。このあたりがたぶん無敗で勝ち上がってきた大きな要因なんだろう。このシリーズでも、ハンドリングに難のあるアーロン・マッキーあたりのボール運びなんて、見るからにへろへろでいつ奪取されるかと不安でしょうがなかった。ようやく彼らをかわしても、中には当然あのシャキール・オニールがでんと待ちかまえているわけだし。昨季で放出されたシューターのグレン・ライスは、たしかに一定の得点は挙げていたものの、そういったチームのバランスにはあまり寄与できていない感じがした。

2001-06-17

『ギフト』

The Gift, 2000
★★

サム・ライミ監督の新作ホラー・サスペンス。『シックス・センス』『アンブレイカブル』みたいな幻視能力を持つ占い師を主人公にすえて、「特殊能力者の苦しみ」を描きながら、その彼女が殺人事件の解決にかかわっていくミステリ的な筋書きになっている。占いで生計を立てている主人公が「魔女」などと謗られるところは南部ゴシック風味か。米国南部の奥深い田舎ではいまだに、失踪事件の捜査に平気で霊能力者がかつぎだされることがあるとか耳にするけれど、そういう実話を下敷きにした設定なんだろうと思う。

こういった「能力者の苦悩」みたいな話は、北村薫が『冬のオペラ』で描いてみたような、すべてが見えてしまう「名探偵」の苦しみと似たところがある(というかほとんど同じだ)。もしくは、「真相を見る」能力を備えているにもかかわらず決して「謎を解決する」役割は果たさない、京極夏彦の「幻視探偵」榎木津の役まわりにも通じるものがあるだろうか。

話の出来のほうは、TVの「サスペンス劇場」風のぬるい仕上がりでどうも感心しない。脚本に俳優ビリー・ボブ・ソーントンの名前が入っていた時点で嫌な予感はしたのだけど。事件の真相は、誰を犯人にすれば観客にとって意外か、を少しだけ考えれば誰にでもわかるだろうひねりのなさだし、主人公の幻視能力もあまり効果的に絡められていない。この主人公は「真相」の断片を幻視する能力を有するものの、その意味を解釈してひとつの物語につなぎあわせる「名探偵」ではない。だからこの映画では、はじめ意味のわからなかった「幻視映像」が事件の進展につれて腑に落ちてくる、というパズル的な構成のおもしろさがある……はずなのだけど、結局どうもそのあたりの意図が徹底されていなくて、特にクライマックスの場面の「幻視映像」なんかは、ただ観客に先の展開を知らせて興を削いでいるだけになっている。

あと、家庭内虐待を悲劇の根源として告発したがる話は正直もううんざりだ。

『ラブ&デス』

Love and Death on Long Island, 1997
★★★

初老の英国作家が米国の青年俳優に執心する筋書きの英国映画。現代版『ヴェニスに死す』ということらしい。『ビバリーヒルズ高校白書』のジェイソン・プリーストリーが、もろ自己パロディの「学園ドラマの人気俳優」を演じている。本人は軽薄なティーンエイジ・ドラマに嫌気がさしていて、別の方向を模索しているようなのも同じか。

「世間知らずの英国紳士」と米国の若者文化をとりあわせて、いわば文化的なミスマッチの妙を狙った基本構図になっている。初老の英国紳士がこっそりと若者雑誌を購入して切り抜いているところなんかは、滑稽なのだけど馬鹿にしているわけではない、という英国らしい穏やかな描かれかたで好ましかった。ただし物語としてはそこまでにとどまり、主人公の作家とジェイソン・プリーストリーがじっさいに顔を合わせてからは、さして特筆すべき展開を用意できていなかったように思える。

まあ主演のジョン・ハートの演技も達者なので、それなりの見どころはある映画。

2001-06-18

『夜のフロスト』

R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳/創元推理文庫[amazon] [bk1]
Night Frost by R. D. Wingfield, 1992
★★★

「なぜです、警部? なぜ、そいつだってわかるんです?」
「直感だよ。おれの直感が当たることはめったにないけど、こいつは間違いない」(p.588)

『クリスマスのフロスト』『フロスト日和』に続くフロスト警部シリーズの三作め。本国では現在のところ五作が出ているらしい。

流感で病欠の刑事が続出するなか、町では面倒な事件が多発、例によってフロスト警部や新任の若手刑事が紆余曲折しながらも何とか解決していく。さすがに安定して愉しめるけれど、フロスト警部の下品な冗談やマレット署長の嫌味な保身官僚ぶりなんかは、さすがにそろそろ使い古されてきたような気もする。僕は基本的に読書には新鮮な「驚き」を期待しているほうなので、こういう職人芸を否定するわけではないけれども、格別に賞賛する気にはあまりなれなかった。

それはそうと、やっぱりこの作家のプロット操作技巧は並ではない。今回特に目立ったのは、ある事件の捜査で浮上した事柄が、結局別の事件の有力な手がかりに結びつく、というような展開。また、暗闇で音声しか判らない趣向のサスペンス場面が何度も出てくるのは、ラジオドラマの脚本家出身だというこの作家らしい演出なのかなと思った。

2001-06-22

『ドーヴァー2』

ジョイス・ポーター/尾坂力訳/ハヤカワ・ミステリ
Dover Two by Joyce Porter, 1965
★★★

ドーヴァー警部シリーズの第二作。たぶんいちばん有名だろう第四作の『切断』もそうだったけれど、殺人事件の舞台となる田舎町がやたら奇妙な別世界のように設定されていて(山口雅也の描く「パラレル英国」に近いのではないか)、主人公ドーヴァー警部の個性よりもむしろそちらのほうが印象に残るくらい。ちなみに今回の舞台は、新教徒と旧教徒が勢力を二分して烈しい抗争を続けているらしい変な町。また本題の事件のほうもだいぶ風変わりで、銃撃を受けて再起不能に陥っていた人物があえてまた息の根を止められたのはなぜか、という犯行の謎が(瀬戸川猛資なども指摘しているような)この連作ならではの「奇妙な動機」の解明に結びつく。

主人公ドーヴァー警部の推理法は探偵小説の「お約束」をあえて踏み外したメタ・ミステリ的なもので、彼の行きあたりばったりの推論はことごとく誤った人物を指しているものの、結果的に事件はあっさりと解決される。それは重要な手がかりが運良く転がり出てきたり、間違った人物を追及しているうちに犯人がみずから名乗り出てきたりする、などといった「都合の良い」展開によるものだ。作者はもちろんこれらを確信犯的に盛り込んでいる。もともと事件にとりあえず解決をつけなくてはならない多くの探偵小説では、その「解決」の導きかたがどうしてもわざとらしくなりがちなものだ。探偵が推理を間違えていても勝手に事件は解決する、というようなこの作品の開き直った筋書きは、その弱点を逆手にとった先鋭的な実験といえるだろう。

このドーヴァー警部の下品な冗談と破れかぶれの捜査法は、よく指摘されるように『クリスマスのフロスト』などのフロスト警部シリーズに引き継がれている。ただしこちらは芹澤恵の達者な訳文とは違って、読んだかぎりでは翻訳が古くてぎこちないことが多いため、ユーモア物としてはほとんど判定のしようがないと思うのだけど。

2001-06-23

『バルタザールの遍歴』

佐藤亜紀/文春文庫(1991)[amazon] [bk1]
★★★

佐藤亜紀の第一作。日本ファンタジー小説大賞を受賞している。最近文庫化されたようなので読んでみた。

ひとつの肉体にふたつの人格が宿っている、という異形めいた設定の没落青年貴族が語り手。おもな叙述者はその片方(メルキオール)なのだけど、たまにもうひとりの人格(バルタザール)が割り込んできたりする。語り手が「双子」で、小説の本体がふたりの綴る「ノート」であり、第二次世界大戦下の中東欧がおもな舞台になっている、といった点で、アゴタ・クリストフの傑作『悪童日記』を連想させる。(ちなみに『悪童日記』の邦訳出版は1991年1月なので、この小説の発表時期と近い)

叙述にひねりがあって、史実に虚構を織りまぜる世界描写も確立されているし、新人作家にしては凝った出来の小説とは認めるけれども、いまひとつ物足りない。まず、この小説は後半になってこれまでの筋書きの裏に誰かの策謀が絡んでいたことを明かす構成になっているものの、その解明の提示は結局ある人物の「説明」だけで済まされてしまう。別にこのあたりを主眼にしているわけでもないだろうけど、少なくともあまり格好の良い処理とはいえない。

それから、これは同じ作者の『戦争の法』(新潮文庫)を読んだときにも感じたことだけれど、この作家のひねくれた書法は、結局のところ物語をまともに語るのを避けるための口実のようにも見える。それは少なくともただ陳腐な「物語」をたれ流すよりは高級な態度かもしれないけれど、反面、世界を真摯に見すえた傑作(たとえば先に題名を挙げた『悪童日記』のような)の感銘には決して及びえないだろうことも否めない。この小説も要するに何を語りたいのか判然としないままに終始するし、いちおう主筋になるはずの貴族の「転落」の描写なんかも、どこかの退廃主義文学の類型をなぞってみただけみたいで、独自の説得力を感じられない。さらにいえば、より文学的素養を有しているらしい片割れの「バルタザール」を、結局少しだけしか語りに介入させないままで終わらせているところが、この作家の「まだ本気を出してないもんね」的な態度を象徴しているのではないだろうか。

2001-06-28

『氷の収穫』

スコット・フィリップス/細美遥子訳/ハヤカワ文庫HM[amazon] [bk1]
The Ice Harvest by Scott Phillips, 2000
★★★

『ポップ1280』が評判になった効果か、近頃ノワール系の新顔作家の紹介が進んでいるみたいだけど、これもそのひとつ。題名は明らかにダシール・ハメットの古典的名作『赤い収穫』("Red Harvest") を意識したものだろう。人物の配置は結果的に『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』を思わせるような構図になっている。本国ではジム・トンプスンらを引き合いに出した批評も出ているようで、パルプ・ノワール好きならとりあえず読んでみてもいいかもしれない。

作風としては、先頃訳出されたケント・ハリントンの『転落の道標』に近い。わりとまじめにパルプ・ノワールを踏襲したかんじのスリラー小説で、個人的にはこういうのなら、ジョン・リドリーの『ネヴァダの犬たち』みたいに割り切ったパロディ調のほうが愉しめる。話の組み立てもやや緩めで、特に前半はもう少し効率的に町や人物を紹介できたのではないだろうか。訳者あとがきは「単なるノワール小説」ではない「センスのよいユーモア感覚」を強調しているけれど、特にそういうものは感じなかった。

あと、いまさら「淫蕩な悪女」みたいな類型をそのまま出されてもいささか困る。たとえばジム・トンプスンの『ポップ1280』や『残酷な夜』がいま読んでも全然古びていないのは、ひとつには女性の登場人物たちがことごとくそんな類型から逸脱しているせいもあるのではないか。(逆に世評の高い『内なる殺人者』はその点で案外保守的に思えた)

2001-06-30

1974

宮脇孝雄の批評によると「スタイリッシュな文体とリアリズムが魅力」の「英国暗黒小説」らしい。とりあえず、体言止め連発の文体と「四部作の年代記」構想は、そのまんまジェイムズ・エルロイ風だな。ここ最近、ニコラス・ブリンコウ『マンチェスター・フラッシュバック』、シェイマス・スミス『Mr.クイン』、ジェイク・アーノット『暗黒街のハリー』など、英国産の犯罪小説の邦訳紹介が進んでいるようだけど、これもそんな流れのひとつになるだろうか。

早川書房:2001年7月の刊行予定によれば、『1974/ジョーカー』の邦題で7月上旬刊行とのこと。なんだか相当力を入れているみたいだ。

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