2005-12-31

映画感想(2005年12月)

ようやく今月分までたどり着いた。

■『ある子供』 L' Enfant (2005)

ダルデンヌ兄弟の新作はカンヌ映画祭で賞を獲ったそうだけれど、これまでの作品よりは落ちると思う。

彼らの映画では最初にモラルの荒廃した状況があって、そこからモラルの回復と和解の予兆が示されるまでを描く、というのがパターンになっている(『イゴールの約束』『ロゼッタ』『息子のまなざし』と、どの作品もそう)。今回の『ある子供』でも主人公が不道徳な行いに手を染めるのだけれど、それが単なる軽率さによるもので、やむにやまれぬ必然性のようなものがないし、モラルを取り戻すのに何らかの現実的な障害があるわけでもない。結果として、作中でモラルが回復されるのかどうかという点にスリルが生じていなくて、どうせ主人公が懺悔して終わるんだろう、という結末がはじめから想像できてしまう。ドキュメンタリー的な撮り方をしている映画は、こういう甘さや作為が透けて見えると一気に醒めてしまうところがある。[★★]

■『ロード・オブ・ドッグタウン』 Lords of Dogtown (2005)

1970年代、スケートボード流行の発信源となった若者たちを描く青春映画。スケボー乗りの場面がきちんと撮られていて見ごたえがあり、スケボーをめぐるアメリカの社会環境がある程度わかるようになっているのも興味深かった。

例えば、アメリカの郊外住宅には決まって庭にプールがあるけれど(『泳ぐ人』を参照)、主人公たちは無断でそこに侵入して、水の入っていないプールでスケボーの曲芸乗りを練習しはじめる(またその前に、もともと彼らは海岸を締め出されてサーフィンからスケボーに転向した経緯がある)。プール付きの家の住人は当然それなりの金持ち階級で、対してスケボーをやるようなストリートの若者はほとんどが貧しい家庭の出身。つまりスケボーの曲芸乗りはゲリラ的な階級闘争でもあったのだ、とまで言えるかどうかは知らないけれど、そういった周辺の社会状況も読み取れる。監督のキャサリン・ハードウィックは『サーティーン』の人で、若者の家庭環境、特に荒れた家庭を描くのが得意な人のようでもある(そうした社会的な問題を背景にとどめて主張しすぎないのも良かった)。

というわけで面白かったけど、僕は運動神経が悪くてこういう遊びに乗れなかったくちなので、見ていると若干の疎外感をおぼえるのも否めない。

映画館を出るとき、可愛い男の子の裸がいっぱい見られて良かったねえ、と満足げに語り合うお姉さんたちの声が聞こえてきた。なるほど、そういう需要にも応えているのか……。[★★★]

■『ロード・オブ・ウォー』 Lord of War (2005)

ナレーションの多い映画はすなわち駄目な映画である、という法則をそのまま実証する映画。要するに、映像で表現できていない(もしくは製作者が表現できた自信がない)からナレーションでくどくど説明しようとするわけでね……。

現代アメリカの影の部分として、冷戦後の第三世界で暗躍する武器商人を取り上げるという着眼点は面白いのだけど、主人公が平板で悪の魅力のようなものがないし、映画の終盤になってから弟が「目の前の人殺しに荷担するなんて耐えられないよ!」みたいな青年の主張をしはじめるのは突っ込みがぬるすぎる。いままでの2時間何をやってきたのかと思った。

思えばアンドリュー・ニコルの関わった映画はどれも、着想は面白いのにそれを薄っぺらい教訓話でまとめてつまらなくなっている気がする(『トゥルーマン・ショー』『シモーヌ』『ターミナル』など)。

イアン・ホルムの演じる冷戦時代の武器商人は政治的な目論見があって相手を選んでいたけれど、冷戦が崩壊してニコラス・ケイジの時代になったら儲かれば何でもいいということになってしまったという切り口は、現在の世界情勢と重ね合わせられそうで面白い。[★★]

■『キング・コング』 King Kong (2005)

久しぶりに映画らしい映画を観た充実感を味わった。今年映画館で観た作品では5本の指に入りそう。ピーター・ジャクソン監督はオリジナル版を9歳の時に見て感銘を受けたそうだけれど、観客側も少年の心に戻ったつもりで愉しむのが吉だと思う。コング対恐竜のバトルがすげえ、みたいな。

『指輪』は正直言うとモンスターとの追いかけっこが必要以上にくどかった気がして苦手なのだけれど、今回はそれ自体が主題なのでストレートに面白い。CGとわかっていても思わずねじ伏せられてしまう映像の迫力は何なのだろう(もちろん、いかにもCGに見えてしまう場面も多少あるけれど)。特にエンパイアステートビル頂上の決戦でいまさら手に汗握ることになるとは思わなかった。ナオミ・ワッツの背後から恐竜が忍び寄ってきて観客席が微妙にざわつくという「志村、後ろ後ろ」体験だとか、そういった見世物小屋みたいな演出も含めて、映画館へ見に行く甲斐のあった映画。

ただ、この内容で3時間を超えてしまうのは長すぎると言われても仕方ない。これは個々の場面にかける時間が長くなっている積み重ねで、例えば船が島に接近して岩にぶつかりそうになる場面とか、恐竜にひたすら追いかけられる場面とか、あんなに長く繰り返す必要があったんだろうか。たぶんこれが監督のリズムなんだろうけど、どうもしつこすぎるように感じてしまう。

ところで元恐竜好き少年としては、大猿一匹よりも恐竜があれだけうようよ生息していることのほうが「世界の驚異」に違いないと思う。なぜ恐竜に見向きもしないで帰るのかと小一時間(略)。

あとは1933年の『キング・コング』オリジナル版(近所の本屋で500円のDVDが売っていた)と比較して、気がついたことを。それにしてもピーター・ジャクソン版の後に見ると話がやたらさくさく進む。

  • 旧版では島の原住民が文明人として描かれていることに驚愕した(対話・交渉している)。新しいピーター・ジャクソン版では話も通じそうになく、むしろ退化している。

  • 旧版は女優の内面描写がない。対してピーター・ジャクソン版ではそこをじっくり見せて、観客の視点をナオミ・ワッツに合わせるようにしている。

  • 旧版の映画監督カール・デナムは目的のためなら手段を選ばないあくどさ、非情さを感じさせるのだれど、ジャック・ブラックは基本的に三枚目のコメディアンであり、その種の悪徳は感じられない。ミスキャストだったのではないか?とも思うけれど、ジャクソン監督自身に体型が似ていてある程度名前の売れている俳優が他に見つからなかったんだろうな……。

  • 美女が野獣に襲われる話なので、旧版には当然見世物小屋的なエロティシズムがある。女優はコングに服を脱がされそうになるところを救助される(そもそもコングの顔がエロオヤジにしか見えない)。ピーター・ジャクソン版ではこの要素が排除されて、ふたり(?)の関係はあくまでプラトニックな心の結びつきということになった。

個人的には最後に書いた「エロ要素の排除」という点がいちばん大きな改変ではないかという気がしている。オリジナル版を見てから考えると、わざわざ女を野獣の島へ連れて行くのにお色気がないのはちょっと不自然ではある。そうすると、元々あったコングが男の性欲(=野獣)を体現した存在であるという意味付けも変わってくる。

ちなみに、ナオミ・ワッツがコングに恋愛感情を抱いている、と要約した感想をいくつか見かけたけれど、あれは対等な関係ではなくて、『風の谷のナウシカ』でいえばナウシカが王蟲(オーム)に注ぐ親愛の情みたいなものではないだろうか。髑髏島で怪しげな巨大昆虫がわらわら出てくるのは『ナウシカ』へのオマージュに違いない、という説を提唱してみたい。[★★★★]

■『秘密のかけら』 Where the Truth Lies (2005)

アトム・エゴヤンの新作に「ナレーションの多い映画は(以下略)」という法則を適用することになるとは思わなかった。まあ、贔屓目に見てもあまり面白いとはいえない映画で、回想場面の入れ方のつまらなさなど、ロマン・ポランスキーの『赤い航路』の駄目さにきわめて近い。

1950年代に一世を風靡したコメディアンの凋落、そして女子大生の謎の死と、そもそも追及される事件が単なるスキャンダリズムの産物にしか見えなくて興味を抱けない。主演のアリソン・ローマンは綺麗に見える場面もあったけれど、全体的に化粧の濃すぎる役柄で何だか気の毒だった。[★★]

■『七人のマッハ!!!!!!!』 Born to Fight (2004)

どう見ても死人が出ているとしか思えないスタントです。本当にありがとうございました。

テロリストが村を占拠、そこに警察官が巻き込まれるという設定なので「タイ版『ダイ・ハード』」をやるのかと思いきや、各種スポーツ選手+警察官+村人たちが徒手空拳で特攻をかけるというバトルロイヤル状態になってしまう。やっていることは確かに過激なんだけれど、スローモーションの多用がいくぶん興を削いでいた。それにしてもアクションを延々と見せるためだけに話があるということを隠そうともしないのは、ポルノビデオと似た構造のような気がする(こういうのを見ると『ダイ・ハード』はやはり名作なんだと思う)。テロリストの軍装がポル・ポト派みたいに見えたのは気のせいか。[★★★]

■『ブレイキング・ニュース』 大事件 (2004)

『七人のマッハ!』と同じ映画館でやっていたので続けて見た。こちらもビルに立てこもった強盗団にヒーロー警察官が戦いを挑むという状況が『ダイ・ハード』を連想させる。とてもタイトなアクション映画。全篇の半分以上が銃撃戦のような感じで、特に冒頭のカメラがなめ回すように動く長回しの場面がすごい。それ以外の場面もほとんど淀みなく語られて小気味良かった。

ビルに立てこもっているのに突然本格的な料理大会が始まる、などの意表を突いた展開がそこここに見られる。ジョニー・トー監督のそのあたりの物語に没入しない外した感じは、コーエン兄弟の犯罪ものに近い気がする。

人質になる小市民のコメディ・リリーフぶりが多少しつこくて余計か(デブが笑いを取らなければいけないのは香港映画の宿命なんだろうか?)。あとケリー・チャン(時代に逆行した眉毛が印象的)の司令官があまり好意をもって描かれていないのは『踊る大捜査線』の真矢みきのように見えてしまった。[★★★★]

■『ALWAYS 三丁目の夕日』 (2005)

まさかこんなあざとい映画にやられるわけはないだろうと高を括っていたら、目の前に展開される「昭和の日常風景」テーマパークの完成度の高さに目を見張り、危うく本気で感動してしまうところだった(個人的には「指輪」のくだりの演出が少しやりすぎに思えて、そこで目が醒めた)。新興宗教の手口なんてお見通しだと思いながら試しに勧誘に付き合ってみたら、うっかり入信しそうになってしまった、そんな気分だ。恐ろしい映画だと思う。

どこまでか実写なのかわからない精巧な画面作りもさることながら、この作品ですごいと思うのは、日本全国のあらゆる人にこの映画を届けようとする意志が見えるところだ。それでいて『踊る大捜査線』の映画版のように、観客の鑑賞能力を低く見積もって適当にごまかしているわけでもない。そういう映画を見たのは『千と千尋の神隠し』以来のことのような気がする。昔は良かったという単純なノスタルジーそのものは肯定する気にはなれないけれど、この映画が日本国内の「共同幻想」装置として観客に広く受け入れられたということも含めて、色々と考えさせられる余地がある。

アメリカの映画で言えば、ロバート・ゼメキスの手法(自国の歴史とノスタルジーを捏造する)でフランク・キャプラの人情劇を演出した作品というと近いだろうか。キャプラの『素晴らしき哉、人生!』がそうだったように、出てくるエピソードや小道具がそれぞれ時代を象徴するものでありながら、時代を超えた登場人物の普遍的な感情とも深く結びついている、という基本を押さえているのが勝因ではないかと思う。それによって、体験したこともない昔の時代の暮らしに郷愁を催させるという詐術が可能になるのだ。[★★★★]

2005-12-31 03:48 [topic] | Permanent link | Comments (14)

2005-12-29

映画感想(2005年11月)

■『ミリオンズ』 Millions (2004)

ダニー・ボイル監督の劇場第一作『シャロウ・グレイブ』は、拾った大金を奪い合うブラックなサスペンスだった(広い意味では『トレインスポッティング』もそうだろう)。『ミリオンズ』はその原点に戻ったファミリー映画版という感じで、子供が主人公だから話をある程度道徳的なところに収めないといけないのだけど、主人公の少年を単なるありがちな「良い子」ではなくて聖人オタクという設定にしているのが面白い。近い時期に公開された『チャーリーとチョコレート工場』の主人公よりずっと魅力的だろう。劇中の季節がクリスマスに近づくにつれて、少年の見る「聖人」はだんだん時代が下ってイエス・キリストに近づいていく。

画面がカラフルで心地良いし、悪くないクリスマス映画だと思うのだけれど、子供がニット帽の泥棒と追いかけっこをする話だとどうしても『ホーム・アローン』に見えてしまうのが難か。[★★★]

■『ブラザーズ・グリム』 The Brothers Grimm (2005)

グリム兄弟は実はいんちき詐欺師だった!という冒頭のつかみは抜群なのだけれど、その後は別に主人公がグリム兄弟でなくてもいいような活劇が続いて失速。グリム兄弟が「物語」の魅力に目覚めるというところまで話をうまくつなげられていない。

グリム弟であるヒース・レジャーの眼鏡の似合いっぷりと、ヒロインのレナ・ヘディあたりはなかなか良いのではないだろうか。[★★★]

■『親切なクムジャさん』 Chinjeolhan geumjassi (2005)

白と赤の映画。冒頭から豆腐やケーキといった白い、つまり「浄化」のモチーフが出てくる一方で、例によって凄惨な流血場面も描かれる。清純派女優として知られるイ・ヨンエが赤いアイシャドウをつけて復讐の鬼に変身するのは、彼女が「白と赤」、純白と鮮血に彩られた映画を象徴する存在だからだろう。そして幕切れの場面では『オールド・ボーイ』と同じく、白い雪がすべての罪悪と流血を浄化しようとする。

『オールド・ボーイ』はゲーム的な閉鎖空間の愛憎劇として見られたのだけれど、今回の『親切なクムジャさん』は舞台となる場所が海外のオーストラリアまで出てきて多岐にわたり、TVというメディアも登場する。つまり『オールド・ボーイ』とは違って劇の時間と空間が拡散している。これが悪い方に出ている気がして、もともと無理のある筋書きが飛び飛びに提示されるせいで、場面ごとのつながりを欠いたコント集のようになってしまった。ナレーションが多いのは話がつながらなくて後から慌てて入れたんじゃないかと勘繰ってしまう。

とはいえ、個々の場面では突然見応えのある奇怪な出来事が起こったりするので侮れないのだけれど。クライマックスの展開がアガサ・クリスティの某有名作を髣髴とさせるのには笑いそうになった。21世紀になってこんな光景を映画館で見ることになるとは誰が予想し得ただろう……。[★★]

■『ダーク・ウォーター』 Dark Water (2004)

オリジナルの『仄暗い水の底から』は未見。女性主人公が呪われた部屋を借りてしまうホラーというと、何をやっても『ローズマリーの赤ちゃん』のバリエーションに見えてしまうとは思いつつ、舞台設定の良さのせいか映画としてはそこそこまとまっている。不動産屋がジョン・C・ライリーという不吉さには震えそうになった。また、一部では「ダコタを超えた!」とも噂される天才美少女、アリエル・ゲイドちゃんは必見。[★★★]

■『イン・ハー・シューズ』 In Her Shoes (2005)

『ブリジット・ジョーンズの日記』の市場を狙った感じの作品とはいえ、監督がカーティス・ハンソンだからそれなりにまとめているだろう……という程度に構えていたら、これは思いのほか良かった。何かの欠落を抱えた登場人物たちがこれまでの自分を脱ぎ捨てて人生の次のステージへ踏み出していく、という筋書きは『ワンダー・ボーイズ』の女性版ともいえる。

何より、場面ごとに何か必ずくすりと笑えるところがあって、それが細波のように映画の幸福感を増幅させていく。『エリン・ブロコビッチ』の脚本家、スザンナ・グラントの功績が大ではないかと思う。

カーティス・ハンソン監督の画面作りは目立たないけれど的確で、特にトニ・コレットの住むフィラデルフィアの落ち着いた街並みと、キャメロン・ディアスの向かうフロリダの降り注ぐ陽光、並行して描かれるふたつの土地の空気感をうまく対比しているのに感心した。ちなみにフィラデルフィアは『シックス・センス』、フロリダは『メリーに首ったけ』の舞台でもあった。つまり主役の女優ふたりは、それぞれの出世作の舞台になった土地で「自分探し」をすることになるのだ。そのことでこの映画はいくぶん説得力を増していると思う。

トニ・コレットの演じる負け犬女(?)がオタクっぽい男と結ばれるという展開があるのは時節柄キャッチーかもしれない。ただ、男のほうが突然「君をずっと見ていたよ」と求愛してくるので、そのあたりはさすがに少女漫画みたいだとも思ってしまうけれど。

この作品と似た感じを受けた映画の題名を挙げていくと、『ミス・ファイヤクラッカー』『マグノリアの花たち』『パッション・フィッシュ』。なぜかどれもアメリカ南部を舞台にした作品だ。[★★★★★]

■『エリザベスタウン』 Elizabethtown (2005)

世間では逆の評価みたいだけれど、キャメロン・クロウ監督作のなかでは割と好きな作品。『あの頃ペニー・レインと』みたいに中途半端にリアルな設定で甘酸っぱい話よりは、この『エリザベスタウン』みたいにひたすら妄想の世界に突き進んで帰って来られないような作品のほうが清々しい。

仕事で大失敗をした男が自殺を試みるという導入部は、フランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』を下敷きにしたものだろう。都会の暮らしに疲れた彼がアメリカ南部に帰郷して、田舎の生活と風景に癒されて生きる力を取り戻していく、というのが基本構想なのだろうけど(これは9.11以降の米国で歓迎されそうな趣向ではある)、父親を追悼する話のはずなのにそもそも主人公が父親をどう考えているのかよくわからないし、ロマンスの相手になるキルステン・ダンストが主人公の帰郷と絡む必然性を見出せないしで、焦点の定まらない映画になってしまった。あとオーランド・ブルームは『キングダム・オブ・ヘブン』もそうだったけれど、主人公なのに何を考えているのかよくわからないことが多い気がする。

ただ、オーランド・ブルームとキルステン・ダンストが携帯電話で延々と長電話をする場面、スーザン・サランドンの演説とタップダンスなど、部分的に見ると面白いことをやっているので見た後の印象はそれほど悪くない。でも映画全体の縦糸みたいなものが足りないのは否めない。[★★★]

■『ランド・オブ・プレンティ』 Land of Plenty (2004)

ヴェンダースの新作は意外にも、劇中で殺人事件が起きて登場人物が犯人を突き止めようとするミステリー的な筋立てを持つ映画だった。とはいえ探偵役になるのが、街中で日々テロリストと戦争状態にあるという妄想に駆られたドン・キホーテ的な人物なので、当然事件の背後に彼の想像するような大きな陰謀などはなく、探偵行為そのものは空振りに終わる。

この図式はもちろんアメリカの9.11後のイラク戦争に対する批判を重ね合わせたものなのだろうけど、ここに出てくる人物はいかにも「ヴェトナム帰りの電波野郎ってこんな感じ?」と適当に造形したようで、少しも切実さを感じられない。居もしない類型的な愚者を勝手に作って見せられても退屈でしかない。

低予算で作られたのがわかる映画とはいえ映像の粗さもひどく、劇場で見るのがつらかった。良いのはミシェル・ウィリアムズが綺麗に撮られていることくらい。[★★]

2005-12-29 22:17 [topic] | Permanent link | Comments (3)

映画感想(2005年10月)

しばらく放っていたらもう年の瀬になってしまった。大掃除のつもりで、ここ数か月で観た新作映画の感想くらいは今年中に書き付けておきたい。

■『シン・シティ』 Sin City (2005)

賛否両論の作品だけど僕はまったく駄目だった。『スカイ・キャプテン〜』ばりの背景はめこみ合成の画面と、人物の心理を逐一説明するモノローグに、「これは果たして映画なんだろうか……」とひたすら違和感が募るばかり。

3つあるエピソードがどれも「女に手を上げる悪い奴がいた→ぶち殺した→終わり」という筋書きで、古臭いダンディズムと残虐スプラッタ描写が画面に溢れる。どちらも趣味じゃないので、一種のコスプレ映画としてしか愉しめなかった。汚れた街「シン・シティ」には表層しかなくて、その背後にある社会の成り立ちなどはいっさいわからない。これは日光江戸村のようなテーマパークの世界、いわば「ハードボイルド・ワンダーランド」だ。ここまで完璧に願望充足の世界を見せられると、逆にこれが誰かの妄想にすぎないことが気になってしまう。全篇CGで作られた映画は作者の意図を忠実に再現するだろうけど、意図した以外のものは写り込まない。それが悪い方に出た典型的な作品ではないかと思う。[★★]

■『そして、ひと粒のひかり』 Maria Full of Grace (2003)

これはふたつの「輸入」を描いた映画だ。運ばれるひとつはもちろん主人公が飲み込んで運ぶ麻薬で、もうひとつは体内に宿した新しい命。どちらも主人公の体を「容器」として、コロンビアから米国へ国境を越えて輸送されることになる。このふたつの要素が映画の中で交錯していくのが見ていてわくわくした。

多くの実話をもとに少女をめぐる「輸入」の実態を描いているという点で、こちらも今年見た映画『リリア 4-ever』と対になる作品だと思う(原題の"Maria Full of Grace"と"Lilja 4-ever"も似ている)。『リリア 4-ever』の救いのなさと較べるとずいぶん話が甘いように感じるのと、コロンビアの生活がいくら何でも悪く描かれすぎではないかというのが多少気になったけれど、主演のカタリナ・サンディーノ・モレノが文句なしに素晴らしい。[★★★★]

■『マカロニ・ウェスタン 800発の銃弾』 800 balas (2002)

『ドン・キホーテ』の国の人がマカロニ・ウェスタンのパロディを撮る、ということで期待したのだけれど、題材が絶妙すぎたせいか逆になかなか予想を裏切る展開にならないのが惜しい。終盤はなぜか擬似ドキュメンタリーみたいになっていた。[★★★]

■『真夜中のピアニスト』 De battre mon coeur s'est arrete (2005)

フランスでこういう青春ノワールっぽい話といえば、トニーノ・ベナキスタの『夜を喰らう』があったな……と思いながら観ていたら、そのベナキスタ(ブナキスタ)本人が脚本を書いている映画だったので驚いた(監督のジャック・オーディアールと共同名義)。

最近フランスのノワール系映画に結構当たりが多くて、『ブルー・レクイエム』に続いてこの作品も愉しめた(が、全然話題にならない……)。深刻な場面でも必ず醒めたユーモアが漂っているのが小気味良い。ルパン三世ことロマン・デュリスの「2.5枚目」な見た目もそれに合っていると思う。彼がやたら胸毛を見せながらピアノの練習に打ち込んでるのって、真剣な面差しでもどこか笑ってしまうような感じがある。自然光を使った室内場面の撮影も好みだった。

後でジャック・オーディアール監督の前作『リード・マイ・リップス』も見て、こちらも面白かった。昼の世界と夜の世界、本来出会わないはずのものが出会ってしまう、というずれを基調にするのは両作品とも同じ。

『スパニッシュ・アパートメント』でEU賛歌を体現していたロマン・デュリスが、今度は対中国親善大使の役回りを振られるというフランス政治映画としても見られるかもしれない(というのは無理筋か)。[★★★★]

■『ステルス』 Stealth (2005)

『ワイルド・スピード』『トリプルX』と、アメリカのDQN映画界の最前線をひた走るロブ・コーエン監督の新作。噂通り、どう見ても実写版『チーム・アメリカ』だった……という以外には感想がない。というかロブ・コーエンは『トップガン』を本気でリスペクトしているそうなので必然か。[★★]

■『亀も空を飛ぶ』(2004)

イラクのクルド地方、少年たちは競って地雷を拾い、さらに悲劇に見舞われた少女もいる。本当に救いのない状況を、悲惨さだけを強調しないで効果的に見せているので思わず惹きこまれる。ただし、いかにも岩波ホールでかかりそうな映画だ、と言ってしまうとそれまでのような気もしないではない。ちなみにこの映画の構成も『リリア 4-ever』を思い出させる。[★★★]

■『世界』 The World (2004/)

「世界公園」の内幕と閉塞感の映画。「北京から出ないで世界を見よう」という公園のキャッチフレーズは、「映画館から出ないで世界を見よう」としている我々観客と映画の関係を問い直しているかのようだった。それは「観光」としての映画を批評するだろう面白い着眼点なのだけれど、一方で生活に疲れた登場人物たちの描写を延々と見せられると、何でわざわざこんな冴えない人たちの暮らしを見ないといけないんだろう、とふと我に返る瞬間があるのは否めない。[★★★]

■『ティム・バートンのコープスブライド』 Tim Burton's Corpse Bride (2005)

昼に『チャーリーとチョコレート工場』、夜に『コープスブライド』を並行して作っていたというだけあって夜の雰囲気がよく出ている。死者の花嫁(コープス・ブライド)が地上に出て言う台詞、「月の光がこんなに美しかったなんて!」は、何気ない台詞だけれどこれが"陽の光"じゃないところがいかにもティム・バートンの世界だなあと思う。

バートン得意の「グロ可愛い」路線の集大成のような作品で、バートン自身の分身のような主人公は『ヴィンセント』、骨の犬は『フランケンウィニー』、死者の国が地上よりもカラフルで賑やかなのは『ビートルジュース』、といった過去の作品をそれぞれ思い出させる。ただし、主人公がそれでも灰色の現実世界の生活に留まる道を選ぶのがこれまでと違うところで、バートンが過去の自分の世界に別れを告げている作品のようにも見える。

ヘレナ・ボナム・カーターがコープス・ブライドに声を当てているのでわかりにくくなっているけれど、バートン(=主人公)からすると、小柄な英国娘のヴィクトリアが現在の妻のヘレナ・ボナム・カーターにあたるだろう。そうするとコープス・ブライドとは前妻のリサ・マリーのことではないだろうか……。なんて邪念が浮かんでしまって素直に愉しめなかった。その点は抜きにしても、絵本から出てきたようなキャラクターがあんなに滑らかに動くなんて、、というストップモーションに関する感動は以前の『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』ほどではなかった気がする。[★★★]

■『ドミノ』 Domino (2005)

画面の色調やエフェクトがせわしなく切り替わるMTV風の映像スタイルは『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を思い出させる(本作のトニー・スコット監督の『トゥルー・ロマンス』とはタランティーノ脚本つながり)。『ナチュラル・ボーン・キラーズ』は映像の切り替えに本当に脈絡がなくて苛々したものだけれど、この映画ではそれほど気にならなかった。ひとつはこの映画の前提として、実在の賞金稼ぎであるドミノをそのまま描くのではなく、どれだけ彼女の人生に装飾をつけて話を膨らませられるかを目指しているから、というのがあるかもしれない。(とはいえ、なぜそこまでして彼女を題材に選ぶのかは正直なところ最後までわからなかったのだけれど)

『ドニー・ダーコ』のリチャード・ケリーによる脚本は、TVがらみの味付けはアメリカのジャンクな文化の裾野を覗かせて面白いのだけれど、強盗をたくらむ連中が全員あっさり睡眠薬を盛られてしまうとかの子供っぽい展開は何とかならなかったのだろうか。[★★★]

2005-12-29 00:05 [topic] | Permanent link | Comments (0)

2005-09-24

今月観た映画

■『ヴェラ・ドレイク』(監督: マイク・リー)

1950年代の英国ロンドンが舞台で、当時の階級社会における堕胎事情を描いているのが面白い。裕福な家の娘は医者に金のかかる手術を合法的に依頼できるけれども、貧乏な労働者階級の女はその対象外に置かれてしまう。そこで見た目は普通の地味なおばさん、実は闇の仕事人たるヴェラ・ドレイクが「貧者の救済者」として求められることになる。つまり社会の矛盾がヴェラ・ドレイクにすべての問題を押し付けている。

前半は時代背景と人物関係が要領良く紹介されて興味深かったのだけど、主人公の「仕事」が警察に露顕してからはひたすら俳優の重苦しい演技を見せるだけで話が進まなくなり、ちょっと退屈する。同じく妊娠中絶を扱った『サイダーハウス・ルール』もそうだけれど、キリスト教の文化圏とは堕胎に関するタブー意識に温度差があるのだろうかと感じる。

イメルダ・スタウントン演じる主人公は「today」を「トゥダイ」と発音するとか、ロンドンの下町のいわゆるコックニー訛りがすごくきつい。これは主人公がろくに教育を受けていないこと、にもかかわらず(あるいはだからこそ?)社会の決まりに縛られずに何が正しいかを見極めることができたということを示しているのだろうと思う。[★★★]

■『サマータイムマシンブルース』(監督: 本広克行)

一応2005年という設定なんだけれど、何年経っても鄙びた町並みとぼろい部室、まるで時間が止まっているかのように1980年代半ば以降の事物がいっさい登場しないというノスタルジー映画。下敷きになっている『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の公開年が1985年なのでこのあたりの時代が想定されていると思う。タイムトラベル映画でここまで「未来は今日より進歩する」という観念を信じていないのも極端だな、と思ったら、本広監督は学園祭前夜が繰り返されることでお馴染みの『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)を意識していたのだそうで納得した。1990年代以降、我々の社会から「未来は今日より進歩する」という期待がすでに失われてしまったという気分を示した映画だ……というと大袈裟か。個人的にはどこかで「叙述トリック」的な仕掛けを見たかった気もするけれど、筋立てはきちんとまとまっていて愉しい。あと、上野樹里がたいへん可愛かった。別世界の美少女というわけではなくて、SF研究会の部室にいても違和感のない感じが良い。[★★★]

■『チャーリーとチョコレート工場』(監督: ティム・バートン)

白塗りの怪人ジョニー・デップがネバーランド、じゃなくてチョコレート工場にお子様達を招待する。僕程度の知識でも「クイーン風」とか「ビートルズ風」などとわかるパロディ楽曲が次々と繰り出されて、さながら「ダニー・エルフマン歌謡ショー」の様相を呈するのが愉しい。『チーム★アメリカ/ワールドポリス』とともに、今年の馬鹿ミュージカル映画の収穫として讃えられて良いだろう。

ただ、元々の話が「家族を大事にする良い子が報われる」という説教臭いものなのと、さらにウィリー・ウォンカが不和だった父親を訪ねて和解を果たすという「突然『ビッグ・フィッシュ』」な展開になるのがどうも白々しくて乗りにくい。『ビッグ・フィッシュ』ならまだ許容範囲だったのだけれど、この作品ではチョコレート工場(=映画)よりも家庭の幸せのほうが大事、という結論になってしまうのでさすがに行き過ぎではないだろうか……。バートンとしては「いや、俺も子供できたしいつまでも馬鹿やってらんないすよ」という感じかもしれないけれど。バートンにはやはり「風変わりなファミリー映画」以上のものを期待してしまうから、そこはちょっと寂しい。

原作者ロアルド・ダールが英国出身の作家のせいか、労働者階級と資本家の関係をお伽噺に乗せて描くという英国っぽい側面が透けて見える。[★★★★]

■『銀河ヒッチハイク・ガイド』(監督: ガース・ジェニングス)

『指輪物語』の成功でこういう企画がありになったのか、ナードに愛されるSFコメディ小説の映画化なのだそう。原作は読んでいないのだけど、『銀河ヒッチハイク・ガイド』という架空の書物を再現する趣向を始め、非常に馬鹿馬鹿しいものを手間かけて映像化している感じは伝わってきた。

世界の危機なのに主人公たちがとりあえずパブに行ったり、冒頭であっさりと地球が消滅してしまうところがいかにも英国な感じで、その後も英国コメディらしい、笑えるんだか笑えないんだか微妙なギャグが延々と続く。それにしても英国の人は官僚制を茶化すのが好きすぎると思う。宇宙に行っても官僚制ギャグをやるのか。

主人公がボンクラで従者のロボットが人間を馬鹿にしているところはP・G・ウッドハウスのジーヴズものに似ていなくもないかと思っていたら、原作者のダグラス・アダムズはウッドハウスを最も影響を受けた作家として挙げているのだそうだ。[★★★★]

2005-09-24 23:16 [topic] | Permanent link | Comments (0)

2005-09-01

8月に観た映画

相変わらず半ば放置状態になってますが、先月観た新作映画の感想を細々と書いてみます。

■『Dearフランキー』(監督: ショーナ・オーバック)

英国スコットランドの港町に暮らす貧乏な母子家庭を描くという「ケン・ローチ派」の人情ものなのだけど、地味な画面のわりに、母親がわざわざ手紙で架空の父親を作り上げているとか、その微妙に野暮ったい母親の前に突然「幻の騎士」ジェラルド・バトラー様が現れるとか、生活感のない絵空事めいた筋書き(ハーレクイン・ロマンス的というか)になるのが合っていなくていまひとつ。こういう地味な映画は、本当にこんな生活をしている人がいるんだろうな、と感じさせる説得力がないとしょうがないと思うのだけれど。どうせなら母親の話よりも息子と同級生のバイオリン少女との「リトル・ロマンス」でも見せてくれたほうが良かった。最後にもうひと押しあっても良さそうなところを無視してあっさり幕切れになるのは英国映画らしい感じ。[★★★]

■『ランド・オブ・ザ・デッド』(監督: ジョージ・A・ロメロ)

ゾンビ映画の本家ロメロ監督の新作は、黒人リーダーに率いられて覚醒したゾンビたちが大行進を繰り広げて悪い資本家の体制を打倒するという左翼映画なのだった。これは特に裏目読みではなく、町山智浩アメリカ日記の記事によるとロメロ監督本人が

「私のゾンビ映画は『革命』についての映画だ」

と語っているのだそうだ。すなわち、万国のゾンビよ団結せよ! 革命は滅びぬ、ゾンビとともに何度でも甦るさ!という感じだろうか。(いや、ゾンビだからすでに死んでいるのか……?)

デニス・ホッパー演じる街のボスがありきたりな悪役にすぎなかったりとか、登場人物が入り乱れていて全員生かしきれていないように思えるとか、脚本には改善の余地がありそうなのがちょっと残念。見ているあいだ、何となく『ファイナルファンタジー』みたいな筋書きだなと思ったりもした。

ウェブを巡ってみたら「こんなのゾンビじゃない」みたいな感想(ゾンビ原理主義?)も結構出ているようだけれど、僕は最近WOWOWで放映していた1978年の『ゾンビ』(Dawn of the Dead)をいまさら見て感心した程度の薄い観客なので、こだわりなく普通に愉しめた。(ちなみに『ゾンビ』は素晴らしい傑作だった。これはみんな真似したくなるのも無理はない)[★★★★]

■『ハッカビーズ』(監督: デヴィッド・O・ラッセル)

これはもう、映画の作り手だけが「知的な諧謔」だと思い込んでいる寒いおふざけが延々と繰り広げられるというひたすら空疎な映画だった。コメディなのに2時間くすりとも笑えるところがない映画というのは何なのだろうか。ウディ・アレンの不肖の息子という感じ。[★]

2005-09-01 00:34 [topic] | Permanent link | Comments (0)

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