▼Feature
スコット・トゥロー解体序説
「どんな気分かね、世界をべつの側から見てみると?」

■スコット・トゥローはいま現役活動中の米国のミステリ作家のなかで、個人的に新作の動向がもっとも気になるひとりなのだけど、ただし日本での人気はどうなのだろうか。たしかに年末のランキング類で軒並み上位に食い込んだりはしているものの、どちらかというと年配層の評者から支持を受けている印象で、とくに最近の若いミステリ読みからの注目度はさして高くなさそう。メインストリームからは少し外れた作家と認識されているのだろうか。
■寡作のためもあるだろうけれど、ひとつにはたぶん社会派ふうの印象が強いせいもあるのだろう。それはまあ仕方のない面もあるのだけれども、たぶん読んでみればわかるように、トゥローはまず鋭いたくらみを秘めた手練のミステリ作家なのだ。その手法はある意味でミステリの新たな地平を示しているのではないかとさえ思う。ここではそのあたりの雑感を書きとどめておきたい。

(このあとは各作品の内容に立ち入ります。致命的なネタバレと判断したものはいちおう伏せ字にしますが、まだ読んでおらず予断を与えられたくないかたは、見ないほうがいいかもしれません)

▼『推定無罪』
Presumed Innocent, 1987


■野崎六助『北米探偵小説論』(インスクリプト社)はこの作品をして「十年に一度の傑作」の形容に正しくふさわしい「何より探偵小説としての価値によって記憶されるべきマスターピース」と評価しているけれど、僕もこの見解にはまったく同感だ。80年代最良のミステリではないかと思う。この小説の大ヒット以来、米国で弁護士ものがやたらとはやったのは周知のとおりだけれど、ある意味で「リーガル・サスペンス」は早くもこの作品のなかですでに引導を渡されてもいるのではないだろうか。
■『推定無罪』の主人公ラスティ・サビッチは検察官の職から一転、殺人事件の被告として訴えられてしまう。自分宛の告訴状を見て呆然とする主人公にむかって弁護人スターンの投げかける言葉が、この文章の冒頭に掲げた「どんな気分かね、世界をべつの側から見てみると?」なのだけれども、この台詞はまた物語全体の構図を要約したものともいえるかもしれない。検察官だった主人公は被告席に追いやられて、これまでの人生とはまさに反対の立場から法廷を、そして世界を眺めさせられることになる。
■そうして被告人席から描かれる法廷は、必ずしも正義や真実を追究する舞台ではない。その象徴のひとつが弁護士サンディ・スターンの態度だ。彼は決して依頼人に、殺したのは君なのかとは問わない。仕事の目的は真実を究明することよりも、法廷の駆け引きで勝つことなのだ。だから『推定無罪』の法廷は〈真相を何も究明しないまま、政治的かけひきでうやむやに終わる〉。このドライな世界観が結局〈白熱の法廷劇も深刻な社会派ぶりも実はぜんぶ壮大なミスディレクションだった〉というどんでん返しを支えてもいる。
■主人公が「べつの側から見る」ことになるのはなにも法廷だけではなく、むしろ身の周りの人間関係のほうでもある。信頼していた上司はそしらぬ顔をするだけで、愛人だった女はただ打算だけでつきあっていたのだとわかる。いままで過ごしてきた世界をべつの側から見る立場に追いやられることで、周りの人間のこれまで気づかなかった素顔が見えてくるのだ。例えるなら映画の一見華やかな舞台をちょっと違う角度から見てみると、実はみすぼらしいただのベニヤ板にすぎなかった、そんなかんじだろうか。トゥローの人物描写がかなり安定して力があるのも、この手法の効果を高めていると思う。

▼『立証責任』
The Borden of Proof, 1990


■こうした構図は次作でさらに明確になる。『立証責任』の主人公となるのは、前作で活躍した弁護士サンディ・スターン。まず物語のはじめ、出張から戻ってきたスターンはなんと自宅でガス自殺を遂げた妻を発見することになる。けれども彼には、妻がなぜ自殺したのか見当もつかない。
■冒頭に提示されるこの謎は相当に切実なものではないだろうか。妻は自死するほどの深刻な問題を抱えていたのに、夫にはそれを秘していた。円満な仲と思い込んでいた妻に、自分の知らない裏の顔があったことがわかる。その事情を調べていくうちに、仕事で留守がちな彼はどうやら家族のなかで半ばのけ者扱いにされていたらしいことがわかってくる。(ちなみにこういった登場人物のスピン・オフはなかなかうまいやりかただと思う。前作のサンディ・スターンの颯爽とした仕事ぶりがまだ読者の脳裏に残っているからこそ、私生活での情けない親父ぶりがいっそう意味深いものとなってくる)
■スターン弁護士は、こうしてみずからの家庭を「べつの側から見る」立場に置かれることになる。それはまたいままでの家族への向き合いかた、そして生きかたそのものを正面から問われることでもあるだ ろう。これまでの人生を、「べつの側から見る」。トゥローの描く物語の主人公はいつも、いままでの年月積み上げてきたつもりでいたものを決定的にひっくり返される、そんな人生の一大転機に見舞われることになる。だからトゥローは、いまのところ同じ人物を複数の物語の主役に据えることはしていない。
■ミステリの驚きというのは視点の転換、つまり何らかのかたちで「世界をべつの側から見る」ことに集約されると思うのだけれど、自分のこれまで積み上げてきた人生を「別の側から見る」ことになるのは、きっと誰にとってもいちばん切実な謎解きではないだろうか。謎解きの構図と人間ドラマとを巧妙に結びつけ、ある意味ではミステリという小説形式のもつ可能性を示してみせた、これは好例にあたるのではないかと思う。

▼『有罪答弁』
Pleading Guilty, 1993

■「家族」のつぎの舞台は「職場」だった。
■こんどの主人公は、大手法律事務所に勤める窓際弁護士マック・マロイ。失踪した同僚の行方を探る役目を仰せつかるものの、調査を続けていくなかで事務所ぐるみの不正な資金操作の実態にゆきあたる。つまりそこで彼は長年勤めてきた「職場」の秘密と、一目おいていた上司たちの裏の顔とを目のあたりにすることになるのだ。ここでもまた物語の主人公は、いままでの人生を「別の側から見る」ことになる。
■この作品は明らかにジョン・グリシャムの『法律事務所』を意識して書かれているので、くらべてみるとなかなか面白い。『法律事務所』を読んだとき僕はいかにもハリウッドふうの話だなと感じたのだけど、それは要するに人物の善悪の判定がひどく明快なためだと思う。『法律事務所』の主人公はいきのいい新人で(映画版ではトム・クルーズが演じた)、就職した金満法律事務所の内実が要はマフィアの手先だと知ると、迷わず資金をかっぱらっての高飛びをもくろむ。たしかに相手がマフィアならいくらでも悪者にできる。
■対して『有罪答弁』の主人公はむさいおっさんで、事務所は長年の人生を捧げてきた職場でもある。不正資金というのもマフィアのような一方的に断罪できるものではなく、職務上やむなく生じたいわば必要悪だ。トゥローの描く世界はそのようにしていつも、単純に白黒ではわりきれない厚みと奥行きとをそなえている。『有罪答弁』は自分なら『法律事務所』の筋書きをこう書いてみせるという、グリシャムに対する挑戦状なのかもしれない。
■もちろんグリシャム流の明快な世界観はスピード感あふれる軽やかな筋運びに寄与しているわけで、だからどちらが絶対的に上かなんてのをここで強弁するつもりはさらさらない(少なくとも僕は断然トゥローの書法のほうに魅力を感じるけど)。ちなみにグリシャムの作品が出るたびに映画化され、いっぽうのトゥローはハリソン・フォードが主演した『推定無罪』以降とんと映画化の話が聞かれない(1)。その事実が両者のスタンスの違いを、なによりも雄弁に物語っているような気がする。

▼『われらが父たちの掟』
The Law of Our Fathers, 1996


■これまでいちおう各作品に賞賛の言葉を連ねてきたつもりだけれど、この新作はちょっと評価しかねているというか、正直いって困惑しているところがある。
■まず気になったのは、ずいぶんと読みにくかったこと。僕の場合もともと読むのが遅いうえにちょびちょびとしか進まなかったので、結局読了までにはたぶん一週間くらいかかったのじゃないかと思う。翻訳者がそれまでの上田公子から二宮馨へと変わったせいにする向きもあったけれど、それだけでは片づけられないものがあった気がする(それに二宮馨は悪くない翻訳家だと思うし)。
■内容もやけにとっつきにくい。学生運動時代の仲間ばかりが集ってしまった法廷で、当時の事件の回想、そして親たちにかつて反抗した世代がいまどのように親として振る舞うのか、といったことがかわるがわる語られる。かなりプライヴェイトな主題を純文学ふうに追究した印象で、門外漢からすると興に欠けることは否めないだろう。それに『推定無罪』で現在形の叙述にこだわったように、これまでのトゥローはつねに「現在」のさし迫った問題を描いてきた。そのスタンスからは路線変更したことになるのだろうか。
■というわけで次作がどこへ向かうのか不安も大きいわけだけれど、これまで三年に一度新作を出しているトゥローは、本国で最新刊"Personal Injurity"(とかそんな題名)をやはり今年(1999年)に出したらしい。そろそろ日本でも翻訳にかかるということなので、楽しみに待ちたいところ。これまでのところトゥローは「娯楽系」と「文学系」とを交互に出している気がするから、次は「娯楽系」になるんじゃないかな、と思うのだけど。
(1999.10.24)

※今回は各作品を改めてきちんと読み直していないので、話の筋なんかはけっこううろ覚えで書いてます。間違いとかあったらすいません。

(1)あとで調べたら『立証責任』はいちおう映画化されてました。

・『推定無罪』『立証責任』『有罪答弁』(いずれも上田公子訳/文春文庫で上下巻)
・『われらが父たちの掟』(二宮馨訳/文芸春秋上下巻)