▼Book Review 2000.2+3

『ポップ1280』 ジム・トンプスン
『スイート・リトル・ベイビー』 牧野修
『縞模様の霊柩車』 ロス・マクドナルド

※(ごく主観的な)評価は★5段階。


『ポップ1280』
 ★★★★★
ジム・トンプスン(三川基好訳/扶桑社)
Pop.1280/Jim Thompson(1964)

「まず、おれは勇敢で正直で骨身を惜しまない人間ではない。次に、投票する連中も、おれにそんな人間になってほしいと望んではいない」
「どうして、そう思うのかね?」
「だって、おれを保安官に選んだじゃないですか。ずっと選びつづけてるじゃないですか」
(p.87)

■パルプ犯罪小説作家ジム・トンプスンの、これがおそらく最高傑作。ブラック・コメディ風の軽妙な筆致に乗せ、ねじくれてゆがんだ黒いユーモアが冴えわたる。田舎町の保安官が行きあたりばったりに悪行を重ねまくる、という筋書きはもうひとつの代表作『内なる殺人者』(河出文庫)にも似ているけれど、あの陰鬱な雰囲気とはずいぶん路線を異にする。僕はこちらのほうがはるかに好み。
■何といっても、モラルのかけらもない主人公ニック・コーリーの人物像が最高。「人口1280」の田舎町ポッツヴィルの保安官の職にありながら、法の執行者らしい仕事なんてなにひとつせず、世間をなめきった態度でひたすら自分の都合の良いように行動する。まさに「おれみたいのが大勢いたら、世の中おしまいだからね」(p.122) のとんでもない品性最悪のろくでなしで、「おれが愛してるのは自分だけだ」(p.160) と語るとおりの究極のエゴイスト。けれどもそれは誰しもの心の底に宿っている願望を、戯画的に抽出してみせた姿でもあるはずだ。
■ふだんはいかにも無能そうなとぼけた態度を保つニックだけれども、窮地になると(それも自業自得なんだけど)悪魔的な機転と冷酷さを発揮してこれを平然と切り抜けていく。このあたりのやたら軽快でユーモラスな筆致、そしてむしろ周りの人物のほうが間抜けぶりを見透かされたように振り回される、ウィットの利いた構図もすばらしい。何の計画も立てていないとうそぶきながら、次々と巧妙に(でも行きあたりばったりに)人を陥れていくこの無敵の「天然」ぶりは、作家トンプスン自身の「天然」ぶりとも重なって読めた。偶発の重なりのようでいてしかしとんでもなく巧緻な、まさに先読み不能のプロット展開。
■終盤に近づくにつれて、物語は思わぬ荘厳ささえも漂わせはじめる。超然とした態度のニックは「おれは救世主なのかもしれない。このポッツ郡に現れた十字架のイエスなんだ」(p.241) と、いわば「アンチ・キリスト」を気取るまでに至るけれども、作者はやはり終幕までひねくれた締めを用意している。結論はすでに物語の冒頭から示されていた、という冷徹な袋小路。本書に掲げられた序文の題のとおり、トンプスンの描くのはまさしく「神なき世界」なのだろう。
■いわゆるノワールの分野にさほど執着のあるわけではない僕も、この軽妙にして深奥、荒涼とした寓話のようでもある世界観には心の底から感心した。アンチ・ユートピア&アンチ・ヒーローの極北を見せつける超絶の傑作。こういう系統を敬遠気味のかたも、ぜひ読んでみてほしいと思う。

(2000.3.30)



『スイート・リトル・ベイビー』  ★★★
牧野修(角川ホラー文庫/1999)

「乳幼児というのはこの『可愛い』という感情を引き出させる仕組みを持っている。可愛くあることで、親を『支配』するわけです」(p.149)

■第6回日本ホラー大賞の長編賞佳作。例によって林真理子が選評で「不快」と評していたのと(ただし某作品のごとく一方的にけなしていたわけではないけど)、長編賞といえば大賞『黒い家』より個人的には愉しめた『レフトハンド』なんかの前例もあるため読んでみた。
■作者の皮肉めいた手つきがなかなか印象的で、幼児虐待を扱いながらも物語はやはりまっとうには進まない。アイディアそのものは〈『パラサイト・イヴ』〉みたいで(もしくは〈巣を乗っ取る「かっこう」〉とか)一発ネタの気はしないでもないものの、これと家庭内虐待とを結びつけることで生まれた逆転の構図が秀逸(でもまあ、要はバカ話なんだけど)。主人公は保健所の職員として子供を守る立場の仕事に就きながらも、過去の事件から自分は「虐待する親」なのではないかとの苦悩をつねに抱えている。それゆえ主人公には感情移入しやすい構造になっているのだけど、その不安からようやく解放される場面こそ主人公が読者の感情移入から突き放される瞬間になってしまう。だから最終的に登場人物の誰ひとり読者の側には残らない。そんな冷ややかな物語の収めかたになかなか感心した。
■ネタ割りが主に「登場人物による解説」で済まされてしまうのでいまいち鮮やかさに欠けるような気もするけれど、これは話をあえてわかりやすくするための、作者の故意の選択なのかもしれない。そのくらいの余裕を感じた。ちなみに笑える伏線もいくつかある。
■「母性」のもつある種の気持ち悪さを冷徹に相対化してみせたという意味では、『リング』の映画版(原作よりも良かったと思う)なんかとも通じるものがありそう。
(2000.3.5)


『縞模様の霊柩車』 ★★★
ロス・マクドナルド(小笠原豊樹訳/ハヤカワ文庫)
The Zebra Striped Hearse/Ross Macdonald(1962)

「アーチャーさんの目はこわいわ。冷たい目ね」
「客観的な目と言って下さい」
(p.334)

■ロス・マクドナルドの代表作とよくいわれる『ウィチャリー家の女』(1961)と『さむけ』(1964)のはざまに書かれた、まさに円熟期ただなかの作品。資産家の退役軍人から、その令嬢が熱をあげているハンサムな画家の素性を調べあげるよう依頼された私立探偵リュウ・アーチャーは、例によって芋蔓式に事件を掘り出していくうちに家庭内の醜聞へとたどりつくことになる。
■個人的には最後まで、名作『さむけ』の予行演習みたいな印象がずっと抜けなかった。とりわけ最終頁で犯人について語るアーチャーのニヒルな独白〈だが、ハリエットに恵んでやれるものは、何一つ持ち合わせがない〉(p.406)は、そのまま『さむけ』の有名な最終行を思いおこさせる。ただしこちらは先述の2作品のようなびっくりトリックとかの用意されていないわりと地味な展開のせいか、それほどの衝撃は与えてくれないような気もするけれど。
■この独白にも示唆されている物語全体を貫くテーマは「愛」もしくは「愛の不可能さ」ということだろうか。あえて深読みをするなら、退役軍人にして資産家という依頼人ブラックウェル大佐の人物像は50年代米国の物質的繁栄を象徴するような存在で、しかしながらその庇護の果てには精神的な絆を求めても得られないと感じる不毛さだけが残った、そんな寂しい時代状況を暴露する物語構図ともいえるだろうか。そして、そこに探偵(と作者)のあげられるものはなにもない、のだった。ほんとうになにも。
■ところでリュウ・アーチャーといえばとかく影が薄いといわれることが多いけれど、この作品では意外にも自分の主観的な判断を結構はっきりと示していたりもする(たとえば物語の冒頭、アーチャーはブラックウェル大佐への反感をあらわにし、大佐夫人への好感を地の文で明言している)。そういった個人的感情が最後にぽつりとあらわになる場面がいくつかあって印象的だった。
■しかし登場人物がやたら多いわけでもないのだけど、過去の事件といろいろ錯綜しながら語られるせいで、誰が誰といつから知り合っていたかなどの人間関係をいまいち把握できないまま終わってしまったような。おまえの頭が悪いんじゃ、といわれたらそれまでだけど。
(2000.2.2)

Book Review 2000
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