▼ Notes 2001.3

3/31 【あの頃ペニー・レインと】
■『あの頃ペニー・レインと』(Almost Famous/2000)を観る。原題は「ブレイク寸前」てなところか。キャメロン・クロウ監督・脚本の思春期&70年代ロック回顧もの。評判の良い映画みたいでそれなりに期待したのだけれど、とくに工夫のない筋書きで正直こんなものかという感想。自分の思い出を投影できれば雰囲気にひたれるのかな。悪人の出てこない善良な作風は別にかまわないのだけど、少年音楽記者が雑誌記事を書きあげようとする話のはずなのに、記事の構想をどう持っていきたいのかが全然語られないし、道中の挿話はどれもその場かぎりで有機的に絡まない。ヒロイン役のケイト・ハドソンも世評ほどの特別な存在感はなかった。たとえばロバート・R・マキャモンの『少年時代』(「初めてロックを聴いた感激」の場面あり)やケム・ナンの青春小説『源にふれろ』(基本路線がやや似ている)なんかにくらべるとだいぶ物足りない。思春期を懐かしむにはこのくらいのぬるい話がちょうどいいのかもしれないけど。ちなみに、ある場面でドン・ウィンズロウの『ストリート・キッズ』を思い出した。(★★)


3/26 【今月のミステリマガジン】
■「ミステリマガジン」5月号をざっと読んで、興味深かった記事。

  • 洋書紹介の平岡敦の欄で、仏版『ポップ1275』の「5人少ない謎」をネタにしたメタフィクション・ミステリ小説"1280 ames"(ジャン=ベルナール・プイ)なんてのが紹介されている。なんかすごいバカミス風で気になるけど、きっと読んでみるとたいしたことないのだろうな(しかし何でもネタになるものだね)。ちなみに平岡敦さんも「黒人数え落とし説」支持みたいです。

  • 同じ洋書紹介のオットー・ペンズラー欄では、作家ジム・トンプスンを作中に登場させた小説、ドメニック・スタンズベリーの"Manifest for the Dead"を紹介。トンプスンの不遇な晩年をとりあげているみたい。しかしさすが人気あるなあ。

  • 新刊時評の、ケント・ハリントン『転落の道標』の杉江松恋評。好意的な言及。僕はあまり好みじゃなかったけど、たとえばハドリー・チェイスあたりの官能系(?)犯罪小説を好きな人なら愉しめるのかもしれない。


    3/24 【ギャラクシー・クエスト】
    ■評判の映画『ギャラクシー・クエスト』を観てくる。僕は熱心なSFファンでも『スタートレック』マニアでも全然ないのでいささかのりきれなかったのは否めないけれど、ウェルメイドな出来で好評もうなずける。コンヴェンションで開幕してコンヴェンションで終幕する、というばりばりのおたく世界ものながら、筋書きは正統派の人情コメディ路線。コスプレイヤーのなかに本物の○○○がまぎれこんでいた、という導入部は秀逸だし、登場人物それぞれにきちんと見せ場が与えられ(シガニー・ウィーバーは次第にはだけていく胸元)、道中ばらまいたネタがどれもあとで活かされる、というよくまとまった脚本。最後の決めもなかなか洒落ている。それは特に予想外の驚きではなくて「まあ、これはあとで利いてくるだろうな」とこちらが見当をつけるところに手堅く落とす、という意味での無難な出来の良さなのだけど(特に「交信機」のくだりなんかは絶対にやるだろうなと思った)、『マルコヴィッチの穴』みたいに奇を衒いすぎるよりはだいぶ賢明な選択といえるかもしれない。おたく的な熱狂をコミカルに描きながら、終始愛情が感じられる扱いなのもバランスがとれていて、どちらの陣営の人も悪い感じはしないのではないかと思う。
    ■ただこういういかにも演劇的な作品を、わざわざ映画館まで足を運んで観たいか?というと難しいところではあるけれど。やっぱり根幹のところに愛着がないせいかな。(★★★)


    3/17 【三川基好インタビュー】
    ■『ポップ1280』の翻訳者、三川基好のインタビューがワセダミステリクラブのサイトに掲載されている(というか顧問だったのね)。ジム・トンプスンの未訳作品いくつかはさすがにもう出版される方向でかたまっているみたい。発言内容もわりと興味深くて、『ポップ1280』や『ハドリアヌスの長城』に関する批評はだいたい同感。『内なる殺人者』と『ポップ1280』の対応に関しては、「兄弟というか。まあ、早い話がズルだよね」とか。個人的には、トンプスン自身も『内なる殺人者』に後悔じゃないにしても「こうすれば良かったなあ」みたいな後知恵がたまっていて、それが『ポップ1280』に結実したのじゃないかなと想像している。


    3/14 【アメリカン・ヒーロー伝説】
    ■小鷹信光『アメリカン・ヒーロー伝説』(ちくま文庫)を読む。いわゆるハードボイルド小説の源流をさぐる意図のもとに、1920年代以前(つまりだいたい「ブラック・マスク」以前)の米国娯楽小説の流れを概括する著作で、わりと興味深かった。全体としては、19世紀のパルプマガジン(犯罪実話やウェスタン小説など)の紹介なんかが知識として参考になった。予想どおりというべきか、パズラー系のミステリや女性作家にはだいぶ冷淡な態度。
    ■かなり熱く語られているのが、O・ヘンリーの書いているミステリ系小説と、メルヴィル・ディヴィスン・ポーストのアンクル・アブナー物語。特に後者は読んでおきたい気になった。紹介されているポーストのミステリ論がなかなか素敵だったので。

    ポーストの論を要約すると、ミステリーの謎解きや説明は、物語の進行と平行して進められるべきであり、物語が終ったあとに無用な説明(名探偵の謎解き)がついているミステリーは失敗作である、ということになる。「物語が終わると同時に謎解きも完全に終わっていなければならない」とするこのポーストの作法は、いまでもなお新鮮な意味を持つように、私には思える。(p.232-233)

    ■ハードボイルド探偵の源流はウェスタン小説のヒーローたちにあるが、しかし甦った彼らに自由なフロンティアはもはや残されていなかった、といったところが小鷹信光の立場。これはいまでもそれなりに有効な読みかただと思う。


    3/10 【スナッチ】
    ■新作公開の『スナッチ』(Snatch/2001)をさっそく観る。『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』のガイ・リッチーの第二作だから期待していたのだけど、残念ながらこれはあまり評価できない。前作で発揮されたあざやかな筋さばきと英国らしい暴力描写の抑制は消えてしまい、前作同様多彩な顔ぶれの登場人物たちの挿話は、まとまることなくただごちゃごちゃと入り乱れたままに終わってしまった。あと『ロック、ストック』の反動なのか、いくつか「一線を越えた」残酷描写があるのも目につく(だからPG-12指定)。僕は『ロック、ストック』の独自性は上記の二点、特に脚本のスマートさにあったはずだと考えているので、今回はどうも感心しなかった。
    ■またこれはある程度意図的なものだろうけど、それぞれの挿話がどこかからのあかさらまな引用の切り貼りになっているのもめだつ。冒頭の無駄な会話は『レザボア・ドッグス』を思わせるし、八百長ボクシング/あっさり殺される主要人物/唐突な日本刀なんかは『パルプ・フィクション』風。賭博好きで指を詰められたギャングは『Uターン』(『ネヴァダの犬たち』)みたいで、ブラッド・ピットの素手ボクシングは『ファイト・クラブ』、人喰い豚の話は『ハンニバル』かな。察するに近年の犯罪映画の意匠を詰め込んだ総まとめに挑むような意図があったのかもしれないけど、この映画にはそこを押し切るまでの勢いは感じられなかった。(★★★)


    3/7 【ハイ・フィデリティ】
    ■『ハイ・フィデリティ』(High Fidelity/2000)を観る。これはもちろんニック・ホーンビィの同名小説の映画化。例の有名な「別れた女トップ5」からはじまって、舞台はシカゴに変更されているもののひじょうに原作への敬意が感じられる出来だった。脇役のキャストが抜群で、特に主人公の経営するレコード屋のおたく店員バリー&ディックは配役・演技ともほんと完璧。いろんな事態が同時多発的に進展していくレコード店の日常描写の場面も良かった。ただ主役のジョン・キューザックがやたら観衆にむかって「語りかける」構成には評価が分かれると思う。小説を映画にまとめようとするとどうしても注釈が増えてみっともなくなりがちで、そこをおざなりなナレーション処理で済ませないのはそれなりに好感を持てるのだけれど、店内の描写とその「ジョン・キューザックの語りかけ」と、どちらが映画的におもしろいかといえば明らかに前者じゃないかと思う(といっても英語を解する人ならまた違うのかもしれないけど)。恋愛話や主人公の葛藤なんかの筋書きも、原作から省略された人物や挿話のせいかちょっとあっけない。(★★★)
    ■ちなみにこのスティーヴン・フリアーズ監督は同じジョン・キューザックの主演で、ジム・トンプスン原作の『グリフターズ』も撮っているひとらしい(未見)。その脚本を書いているのはドナルド・E・ウェストレイク。
    ■『ハイ・フィデリティ』の映画評としては、everythingCOOLさんのが参考になりそう。


    3/5 【現金に体を張れ】
    ■スタンリー・キューブリック監督『現金に体を張れ』(The Killing/1956)をようやく観る。原作はライオネル・ホワイトの小説で、ジム・トンプスンが脚本に参加している(クレジットでは"dialogue"担当)から、これはとりあえずクライム・ノヴェル好きなら必見の映画。競馬場を標的にした現金強奪作戦を描いた犯罪ものだけれど、関係者それぞれの行動が時間軸を前後させながら描写され、それらがパズル的に組み合わさって全体の犯罪計画を成立させていく、という実験的で凝った構成になっている。
    ■感想としては、ものすごく期待してしまったせいか正直それほどの驚きはなかったかな。古典的な名作の宿命で、要するに真似されすぎてしまったということかもしれない。時間の経過を説明するために各場面でナレーションが入るのも、いまみるといささか時代的な限界を感じさせる。この作品から大いに影響を受けているのだろうクェンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』は、そういった注釈を入れずに時間軸の錯綜を達成していた。(★★★★)
    ■ジム・トンプスン自身にとってはあまり幸福な体験ではなかったらしいとも聞くけれど、「完璧な犯罪計画」の顛末を描いたこの映画の製作に参加したことは、創作の経歴においてもひとつの転機になったのではないかと思う。この映画以前のトンプスン作品は、邦訳されているかぎりでは『内なる殺人者』(1951)にしても『残酷な夜』(1953)にしても、およそ「計画」性とは縁のない突発的な筋書きの小説だった。ところがこの映画のあとの『ゲッタウェイ』(1959)では計画的な武装強盗が描かれている(さらにいえば『ゲッタウェイ』の主人公像は『現金に体を張れ』の首謀者と似ている)。そしてこの流れは『ポップ1280』のいかれ保安官ニック・コーリーがくりひろげる「天然の策謀」にもつながっているのではないか。


    3/3 【ハピネス】
    ■トッド・ソロンズ監督『ハピネス』(Happiness/1998)。これは昨年わりと評判になった映画で、たとえばロバート・アルトマン監督の『ショート・カッツ』みたいな風刺的群像劇の系統。シニカルなファミリー・ドラマという意味では『アメリカン・ビューティ』にも似ているけれど、父親の行動はあれよりもはるかに過激な禁忌に挑んでいて、かつ描写が戯画化されすぎていないのに好感を持てる。三姉妹の幸せ探しみたいな構成は、エマニュエル・ベアールやシャルロット・ゲンズブールの出演していたフランス映画『ブッシュ・ド・ノエル』を思い出した。製作年からみてもどちらが真似したということではなくて、たぶんこういった系統の話を進めやすいプロットだったということなんだろう。
    ■よく練られた興味深い映画でたしかに話題になったのもわかるんだけど、いくつか考えてしまった点もある。まずディラン・ベイカーの演じる「いけない性的嗜好の父親」の挿話が突出して魅力的だったせいで、そのぶんほかの人物の話が比較的どうでもよく思えてしまったということ。これは群像劇とか三姉妹の対比とかいった全体の構成からすると、果たして成功といえるのだろうかという気もする。あと、この映画の売りは「普通ここまでやらんだろ」と思われる領域の描写に平然と踏み込んでいる不敵さにもあるのだろうけど、なんだかそのために過剰な褒められかたをされているような印象もぬぐえなかった。(★★★★)
    ■そういえばララ・フリン・ボイル(三姉妹のひとりの美人作家)とカムリン・マンハイム(過食デブ女)の『ザ・プラクティス』組が出演していて、どちらもそれなりの見せ場をもらっていた。