▼ Notes 2000.7

7/31 【1万とか】
■知らないうちにカウンタの数字が1万を越えてました。更新がまれなのにすいません。
■そういえば、驚異的なハイペースと無駄な軽口を誇るフットボール・ニュースの有名サイト「352」が、ここ三週間ほど更新停止。もうやめちゃったのならなんだか寂しいかぎりです。今月はなぜかマドリッド周辺で、あの「馬鹿サンス」会長遂に落選、なんとフィーゴ獲得、そしてレドンド放出と、大ネタがてんこ盛りなんだけどなあ。あとは、個人的によっしーのサッカーアブロードさんあたりにわりと期待してたりする。
naubooさんが7/30付で鮎川哲也の『りら荘事件』をとりあげておられますね。「マニアかそうじゃないかの「踏絵」のようなものかも」というのはだいたい同感。以前もどこかで書いたような気がするけど、『りら荘』みたいな作品を読むと、おれって実はミステリなんて全然好きじゃなかったのかも、なんて気分に陥ってしまいます。そういう意味ではほんと試金石めいた作品かもしれない。個人的には、ミステリの枠組みをいかに活用するかがおもしろいんであって、ミステリそのものを自己目的化されても退屈なだけじゃないかと思うんだけど。
■といっても『りら荘事件』そのものはとりあえず駄作というほどではないです。連続殺人事件の起こる邸宅にかけつけた警官が用心のためいきなり泊まってくれたりするのどかさとか(もちろん何の役にも立たない)、容姿の不自由な女性登場人物に対して必要以上に手厳しい作者の態度とか、妙に突っ込みどころが多いのも素敵。


7/16 【『クワイヤボーイズ』の源流】
■先に『キャッチ=22』(1961)に似た雰囲気の小説としてジョゼフ・ウォンボーの異色警察小説『クワイヤボーイズ』(1975)を挙げたけれども、それもむべなるかなと思わせる作者ウォンボー自身の記述を見つけてしまった。『アメリカ探偵作家クラブが選んだミステリBEST100』(ジャパン・ミックス)という本のなかで、「警察小説」の項に寄せられている文章。

『クワイヤボーイズ』を書くに先立って読み返したのは、『キャッチ22』と『スローターハウス5』だった。きっと、自分が書こうとしているものが警察小説ではなく、戦争小説になると直感したからだろう。(p.122)

まあ、作者の言を待たなくても『クワイヤボーイズ』に『キャッチ=22』の影響が色濃いことは、両方を読んでみれば誰でも感じるだろうと思う。やたらお下劣な変人警官が次々と登場するし。戯画的な誇張で組織の腐敗を描き出す書法は、ほとんど同じ路線といっていいくらい。(で、ウォンボーの書法はジェイムズ・エルロイあたりにも結構な影響を与えているんじゃないかと思う)
■ちなみにこの『アメリカ探偵作家クラブが〜』は残念ながらあんまり内容的には濃くないのだけど、むこうでの人気と日本での評価の差をそれなりに垣間見ることはできる本。ヴァン・ダインはやっぱりもう誰も読んでないのねとか、ドロシー・セイヤーズがやたら人気あるのはやっぱりコージー派の元祖だからかなあとか。


7/14 【キャッチ=22】
■ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』(ハヤカワ文庫NV)をたらたらと読み途中。粗削りと感じるところはあるけれどもさすがにおもしろくて、名作といわれるのもうなずける。悪夢のようなアンチ・ユートピア的ブラック・ユーモア世界は『ポップ1280』にも通じるものがあるかもしれない。(腐臭ただよう組織の閉塞感は、ジョゼフ・ウォンボーの警察小説『クワイヤボーイズ』を思い出させた)
■ところでこの小説は、かの英国産ブラック・コメディ「モンティ・パイソン」におそらく多大な影響を与えているのではないかという気がする。続々と登場するやたら奇怪なキャラ、そして無駄にインテリ風の異様なギャグ。場面を転換するリズムなんかも、かなり近いテイストを感じなくもない。
■たとえば、柴田元幸もたしか『アメリカ文学のレッスン』で紹介していた珍妙な「軍事裁判」の場面;

「さて、なんだったかな。最後の行を読み返してみろ」
「『最後の行を読み返してみろ』」と速記のできる伍長が読み返した。
「わしの最後の行じゃない、このまぬけめ!」と大佐はどなった。「だれか別の人間のだ」
「『最後の行を読み返してみろ』」と伍長が読み返した。
「そいつもわしの最後の行だ!」
「いえ、ちがいます、大佐殿」と伍長は抗弁した。「これは自分の最後の行であります。自分はこれをたったいま読んでさしあげました。お忘れでありましょうか。ついいましがたのことであります」
(p.133)

これなんて「モンティ・パイソン」のワンシーンといっても、立派に(?)通用するのじゃないだろうか。


7/13 【ダブル村上の新作とか】
■いささか遅い反応だけど、「ダカーポ」7/19号の上半期話題本回顧特集は意外とおもしろく読めた。読むのはめんどくさいが知った気にだけはなりたい、というこの雑誌「らしい」路線の特集で素敵。内容的には、ダブル村上(という呼びかたも古いか)の新作の評価がまっぷたつに割れているのが興味深いといえば興味深い。特に中条省平と安原顕の評価がまったく正反対で、中条は村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社)を「コミットメントの才能なし」「新興宗教みたい」とぼろくそにけなし、村上龍の『共生虫』(講談社)を「描写力を改めて証明した」と評価する。安原は『神の〜』を褒めあげて『共生虫』は「ぬるい」と一喝。ううむ。ちなみに僕は『神の〜』は一応読もうとしたんだけど、会話のあまりのひどさにあきれて二編めくらいで放り出してしまった。『共生虫』は未読。
■ミステリ関係では『ハンニバル』に文句をつけている人がほとんどいないのが少し意外かな。あと、中条省平が私的ベスト本としてジム・トンプスン『ポップ1280』(扶桑社)を挙げて絶賛しているので嬉しい。マンシェット翻訳者のひとりだから褒めるのは当然なんだけど。「犯罪文学の極限をしるす記念碑的作品」で、ラストは「ドストエフスキーというよりセリーヌ」だそうです。


7/11 【ベスト・ミステリ論18】
■小森収編『ベスト・ミステリ論18』(宝島社新書)は今月の新刊で、古今のすぐれたミステリ論考を独自に採録する企画。さすがに読んだことのある文章が大半で物足りない気もしなくはないけど、まあ新書だしある程度しょうがないのかな。
■読んでいてなんとなく考えたことなど。

・ 北村薫のエッセイを冒頭に掲げるのはとてもよくわかる。
・ 坂口安吾と都筑道夫のこの文章を並べてあるのには、編者の意図をあきらかに感じるところ。
・ その坂口安吾や都筑道夫の文章がどうも古くさく感じられてしまうのは、「こういうミステリが書かれるべき」みたいな理想論とか創作論に持っていこうとする窮屈さのためなのかなあ。まあ、「おもしろさ」を紹介するより「つまらなさ」を力説するほうに重点を置いているせいもあるかもしれないけど。
・ 瀬戸川猛資の扱いは、単行本に収録されてないものをあえて紹介しておきたかったということなのかな?(たとえば『夜明けの睡魔』収録の『矢の家』評とか、もっとエポック・メイキング的な文章はいくらでも挙げられるだろうから)
・ パトリック・クェンティンにはかなり興味が湧いた。
・ 石上三登志の論考(これははじめて読んだ)はわりと興味深い。ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドの共通して敵視するのは結局「女」である、というような指摘。古典的といえば古典的だけど、たしかにこういう観点はまだ有効かもしれない、と思わされた。(ただし「である」連打の文体はとても好きにはなれない)

■ちなみに、出たばかりの本の逆宣伝になってしまったら申し訳ないけれども、収録されている若島正の『そして誰もいなくなった』論はインスクリプト社のサイトでも読めてしまいます。

「明るい館の秘密」

これはとても詳細で興味深い論考なので、まだ読んでないかたがいたらおすすめ(ただし『そして誰もいなくなった』は読んでからにしてください)。しかし清水俊二の翻訳は、池上冬樹の文章と合わせてこの本のなかで二度も槍玉に挙げられていることになるなあ。


7/08 【アメリカ文学のレッスン】
■『愛の見切り発車』にひきつづいて、柴田元幸の『アメリカ文学のレッスン』(講談社新書)も読んでみる。『ハックリベリ・フィンの冒険』からはじまってリチャード・パワーズに至る、アメリカ文学史の名作巡礼というおもむき。ひとつのテーマに沿って思いついた作品を随筆風に挙げていくスタイルは、少し苦しげな章もないではないけれどおもしろいと思う。今回は、結構ひんぱんに「フランクリン的な成功物語」を論点として引き合いに出しているのが印象的。米国文学における「父親の不在」という指摘も興味深い。
■内容というより論述の態度として一貫しているような気がするのが、たとえばこんなところ。

祖母が啓示的な叡智をここで得ているという読み方を、オコナーはあえて「唯一の正解」として提示しているわけだが、小説としての豊かさはむろん、表面的には、祖母がまさしく啓示を受けているのか、あるいは別の紋切型に移行しているだけなのか、にわかには見きわめがたいところにある。(p.117)

以前に柴田元幸の書評の特徴として、物語から「無理に意味を見出そうとしない」というようなことを挙げたけれど、それはここに述べられているような、意味を限定しないところに生まれる「小説としての豊かさ」をいつでも尊重しようとしているからなのだろうなと思えた。
■あと、読みながら断片的に考えたことなど。

・『ハックリベリ・フィンの冒険』(柴田訳を読みたいなあ)と『白鯨』は、やっぱり米国文学の基本みたいですね。
・ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』は読まなければならないような気がする。
・フラナリー・オコナーとジム・トンプスンにはひょっとして影響関係がないだろうか?
・阿部和重の『IP』はトマス・ピンチョンを意識してたのかなあ。

■ちなみにここでも熱く語られているリチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房)は、いまのところ読み途中。実はあんまり進んでなかったりする。


7/07 【猫たちの聖夜】
■ドイツ文学翻訳家・池田香代子さんのウェブサイト。まだできたてのようだけれどもこれからだんだん充実していきそうです(そこはかとなく、深町眞理子さんへの敬意を感じるような気がする)。最近はエーリヒ・ケストナーの児童文学をおもに手がけられているみたい。ところで、このかたは『ソフィーの世界』翻訳者の肩書きで世間的には有名だと思うけれども、ミステリ読みにしてみればやっぱり『猫たちの聖夜』(アキフ・ピリンチ/ハヤカワ文庫NV)は忘れられないところであります。
■『猫たちの聖夜』はわたくしの大好きな小説で、連続「猫殺し」事件を猫が(あくまで猫らしく)探偵する筋書きを私立探偵小説風の軽妙な語り口で描きながら、おそろしく壮大なホワイダニットへとなだれ込む感動の傑作です。知的に洗練されてなおかつ情感も深いのがすばらしい。もちろん登場する猫たちも、賢くて皮肉屋の主人公フランシスをはじめどれも魅力的。「猫の視点」を活かしきった最高の猫ミステリというだけでなく、個人的には90年代に訳出されたミステリのなかでもベスト級じゃないかと思うくらいにおもしろい(そんなわけで、採点するなら文句なしの★★★★★!)。トルコ系ドイツ作家による猫ミステリ、といかにも色物みたいな属性だけれども、ミステリ読みだけでなくSFやファンタジーの読者にも胸を張ってお薦めしたい普遍的で素敵な「現代の寓話」なので、未読のかたはぜひ読んでみてください。『フランケンシュタイン』風の科学の暴走も出てくるし、『風の谷のナウシカ』みたいな文明の矛盾をあぶり出す思索的ファンタジーでもあるし。
■参考までに、『猫たちの聖夜』への論評で興味深く読んだものをいくつか挙げておきます。そんなに綿密に探したわけじゃないので、きっと他にもまだあると思う。

ドイツ文学界ひさびさの大収穫(池田香代子さん@訳者あとがき)
辛いときにもユーモアを忘れんとこ、てこと(nobodyさん)
極端なまでに客観性を欠いた一人称の魅力(京都大SF研究会)
一人称パズラーとして巧妙な手法(naubooさん)

特に京大SF研の記事(読書会の報告らしい)はやたら熱くて素敵。「世界で一番面白い小説」なんて断言しちゃってるし。
■個人的には、本作のように謎解きの枠組みで社会批評や文明批評を(あくまで軽やかに、物語に乗せて)盛り込んでいくのは、ミステリという小説形式を活かすうえでとても有効な手法だと思うし、こういうスマートなミステリがもっと多く書かれてもいいんじゃないかと考えています。そういう意味でも心から賞賛の拍手を贈りたい。


7/05 【追跡してるわけじゃないけど】
Review-Japan という総合書評系サイトをぼんやり見ていたら、わが敬愛する(ということにしておこう)先輩・古山裕樹さんの「私評箱」=辺境ミステリの冒険を発見してしまったので紹介しておきます。どうやら自身のサイトよりも活発に更新されていたり、だぶっている文章も微妙に修正/加筆されていたりもするみたいなので、特に古山ファンは要チェック。


7/03 【ライフ・イズ・ビューティフル】
■いまさらながら映画「ライフ・イズ・ビューティフル」をTV視聴。けっこう評判になっただけあって、なかなか良かった。どんな苦境にあっても明るいユーモアで切り抜けようとする陽気な男の姿を描く、まあだいたい生命賛歌の物語。前半は「卒業」みたいな展開のラブコメディで妻とのなれそめを紹介して、後半は一転してナチスの強制収容所へと舞台が移る。収容所の非人道ぶりはそれほど声高に告発されないものの、あれほどひょうきんな主人公の饒舌がときどき微妙に曇ったり苦しげになったりするところに、そこはかとなく事態の深刻さを感じとらせる。コメディとしてそんなに上出来とは思わなかったのだけれど(もちろん光る箇所も少なくない。「ドイツ軍の指令を好き勝手に翻訳する」場面のウィットはいうまでもないだろうし、前半の「犬をお盆に載せる」みたいなとぼけかたもわりと好き)、いわば「収容所=非人間的=死」を背景として「ユーモア=人間的=生命」のたくましさが映える、という対比は単純ながらやっぱり素敵だと思う。
■一見、純真な子供をだしにしたありがちな泣かせ話みたいで、確かにそういう面もなくはないけれども、少しばかりひねりがあるように思える。この息子がかなり鋭い洞察力を持った少年であることは、中盤の「祖母が店を訪ねてくる」場面であらかじめ示されている。つまり父親の話をこの子はきっとまるごと信じ込んでいるわけではない、と想像されるところ。にもかかわらず素直な子供として振舞っているのはやっぱり父親を好きで信頼しているからだし、そしてなにより父親の作り話がただ素敵だからだろう。フィクションとなかばわかっていながらも物語の魅力を信じて身をゆだねる、というような態度は、スクリーンを前にした「観客自身」の視点とも重なるものがあるんじゃないだろうか。
■まあ、シナリオ的には隙が多いのかもしれないけど。(★★★★)


7/02 【天国の扉】
■ドイツ映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」をビデオ鑑賞。先日観てずいぶん感心した英国映画「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」と似た路線らしいと聞いていたのだけれど、たしかに近いのは間違いない。周りの勢力が勝手に衝突するなかを主人公たちが運良くきり抜けていく、というちょっとずれた展開はだいたい似ているし、映像のテイストや音楽の入れかたなんかもかなり通じるものがあるような気がする。
■基本的なストーリーは、余命いくばくもないと宣告されたふたりの若者が病院を抜け出して車をかっぱらいはじめて海を見に行くというもので、要するにバディ・ストーリー+難病もの+ロード・ムービーの風味(あと、死ぬ寸前に大金を手にしたら何をしたいか?という永遠の命題と)。その道中オフビート気味の犯罪ドラマなんかが展開される。小気味よい笑いと切なさのバランスが心地よくて、特に終わりのほうで主人公ふたりがギャングに「殺すぞ」と銃をむけられて……という場面はなかなか素敵。おかしいけれど哀しい。
■ただし物語としては既成の構図を詰め込んだふうで新味をさして感じなかったりもして、どちらかといえばひたすら脚本の技巧が冴えまくる「ロック、ストック〜」のほうが個人的には好み(あの「当人たちが一貫して勘違いしているのにことごとくうまく運んでしまう」というとぼけた展開は、フロスト警部シリーズの手法に似ているような気がしないでもない)。「ノッキン〜」はシナリオさばきのあざやかさでいえばそれほどでもないと思うので(難病のエクスキューズがあるとはいえ、かなり大幅に一般人を巻き込んじゃってるし)。いや、佳作で充分観て良かったとは思う出来だけれども。もちろん最後には「あの曲」が流れます。(★★★)